『ラヴェンダーの咲く庭で』

 昔、日本に「ドクフレン」という団体があった。「毒婦連」じゃないです、「独婦連」ね。
 「独婦連」というのは、第二次大戦によってたくさんの適齢期の独身の男が死んだために結婚相手のいなくなってしまった年齢の女性達が作った団体のことである。その年代にかぎっていえば、女の数は男の数より60万人も多くなってしまったのだ。結婚できないのが当たり前である。

 独婦連は強い団体だった。当時独身女性への賃借を認めていなかった住宅金融公庫にそれを認めさせ(ちなみ公庫は1980年代まで独身者にはローンも認可しなかった。『家族をもつもの優遇』がこの国の当たり前の制度だったのだ)、最後には独身の女達が入る共同墓地を設立した。
 結婚制度を嫌う私の友人が「いいな、私も入れて」とメンバーにいったところ、「私たちとは『独身』の意味が違うんだから。私たちがどれほど結婚したくてできなかったか、わからないでしょ」と断られたそうである。

 『ラヴェンダーの花咲く庭で』を見てすぐ思い出したのは、この独婦連のことである。
 第二次大戦前夜のイギリスの片田舎。婚期を逸して暮らす年老いた姉妹(ジュディ・デンチとマギー・スミス)のもとに、ある晩、行き倒れの若い男性が転がり込む。ポーランドから渡米途中に船が難破したというその青年を熱心に世話しているうち、姉は発見する、自分がその青年に恋をしていることを。そして、妹も発見する。その姉の気持ちを快く思えず、さやあてをけしかけてしまう自分も。
 年老いても決して消し去ることができなかった王子様願望に、ともってしまった小さな火をめぐる、ほろ苦いストーリーである。

 女には結婚しない自由がある。独婦連の女性達たちも、決して、夫をもてないことにめそめそしたまま人生を終えたとは思えない(彼女たちの生活の多くが独身を謳歌するどころか年取った両親と弟妹達のために働いて終わるものであったとしても)。
 しかし、戦争が彼女たちから奪ってしまったのは、現実の「王子様」ではなく、「夢を見る自由」ではなかったか。「王子様願望をもつ自由」ではなかったか。現実に王子様を求めて生きるのと、、心の中に王子様願望をもつのとでは、まったく別のことなのではないか、この映画を見てそんなふうに感じたのである。

「王子様願望」というのは、女にとって「盲腸」のような存在ではないかと思った。医者が盲腸を「いらないもの」としてすぐ切ってしまうように、フェミニストも王子様願望を「いらないもの」として切り落としたがる。しかし、近年の研究で盲腸が人間の身体の免疫系に大きな影響を及ぼしていることがわかってきたように、王子様願望も、女の心の健康のために、敵視しないほうがいいものなのではないか、と。

 ちなみに、独婦連をグーグルで検索すると、大宅文庫の見出しでしかもうその名前を見つけることはできなかった。独婦連はだいぶまえにその活動意義を終えているからである。もう誰も知ることのなくなってしまった、小さなお話である。
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by ropponguimovie | 2005-04-03 18:20
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