『あした元気にな~れ! 半分のさつまいも』

 林家こぶ平(現・正蔵)の母、海老名香葉子さん原作の、彼女の終戦体験をもとにしたアニメ。戦後60周年記念作品。

 本編上映の前に海老名さんのご挨拶が映し出されたのだが、それによると、海老名さんがこの作品で訴えたかったのは、「第一に親の愛の尊さ、第二に戦争の悲惨さ」であるいう。海老名さんについては、他の場でも、「親の愛」についての言及が多く、それは私の「なぜ?」という興味をひくものであった。かなり以前のことだが、新聞の「介護」をテーマにした対談(なにか介護関連会社の広告記事であった)で、「私は、介護が必要になったら子どもに面倒みてもらいます。育てたんだから、当然です!」とかなり強い口調でいいきっており、「決め付けるのは危険」という対談相手(外国人の女性)のことばに耳を貸さない様子が掲載されていたのが印象に残っている。

 そこまで「訴えたい」という「親の愛」だが、だが私には、「親の愛」って尊いな、という気持ちにはならなかった。むしろ尊いと思ったのは、「私は親に愛されて育ったんだ、だから強く生きていくんだ」という、「かよちゃん」はじめ子供達の、親の愛を自分の生きるエネルギーに転化する力の強さである。ミルクそのものより、ミルクを消化し栄養として取り込む子どもの「心の内臓」の強さにひかれたのである。

 かよちゃんの親が本当はかよちゃんを愛していなかったということではなくて、東京大空襲で家族6人を失い戦災孤児となったかよちゃんと兄、きいにいちゃんが置かれた環境があんまり苛酷なのである。
 ひきとられたおばさんの家でやっかいものとして、徹底的にいじめられるかよちゃん。闇市での活動を、組合(つーかヤクザ)から利権を吸い上げる標的として狙われるきいにいちゃん。
 戦争がひどいというより、子供達は戦争ですさんだ大人たちから戦争の二次被害を受けている。そういう大人たちというのは平和な時代でも結局困った人である気がしないでもないが、とにかく、かよちゃんは自分の存在を否定され続ける。かよちゃんにとって、「かつて親が愛してくれた、愛し合える家族がいた」という記憶が、自分を肯定する唯一最後の砦である。本当にそれがなかったら生きていけなかったかもしれない。
 だから、私が海老名さんのことばを翻訳するとしたら、「この映画で訴えたいことは、『自分を肯定するエネルギーのすばらしさです』ということになるのだが、それが、海老名さん流にいうと『親の愛』のすばらしさです」ということになるのかもしれない。
 実際、「自分を肯定するエネルギー」というのは、自分でゼロから作り出すのはなかなか大変なもので、たとえ間違ってもいいから『親から愛された』と思っちゃった方がラクに手に入れられる気がする。

 もう一つ、海老名世界観から感じるのは、「土地への執着」。
 これは、親がマイホーム神話に振り回された世代としては結構重ったるい価値観なのだが、彼女だけでなく多くの日本人にとって「土地=家族=愛=生きるエネルギー」がいかに分かちがたく結びついていたかということを今回あらためて感じた。かよちゃんのおば夫婦が、かよちゃんの実家だった本所の家を黙って売ってしまうシーンでは、土地の喪失=かよちゃんの存在の否定であるということがしみじみ伝わってきて胸が痛む。
 先週、「NHKスペシャル」で三菱地所がNYロックフェラーセンターの買収に失敗して撤退したプロセスを見たが、土地と「生きるエネルギー」は必ずしも結びついていず、単なる「金融商品」でしかない国での失敗は、日本人が皇国史観の次にもった世界観の崩壊だったのだなあ、と思った。日本にとって「戦後」の終焉は、実はバブル崩壊だったのかもしれない。

 焼け跡にバラックを建ててやっと住む人々の様子は、ほんとうに貧しくて、「あか」の匂いがするようだった。「日本ってこうだったんだよなあ」。自分の中に、今でも「豊かにかっこよく」生きることを恥ずかしく思う遺伝子がある。最近はすっかり忘れていた、もしかしたらもうなくなったかもしれないと思っていたその遺伝子が、自分の中で小さくうずいた。

 難点を一つ。セリフの言葉づかいがちょっと変です。

2005年7月2日、東京都写真美術館にて公開
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by ropponguimovie | 2005-04-27 07:43
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