『ルー・サロメ 善悪の彼岸』ノーカット版 ◆

 『愛の嵐』の監督って女だったのね…(不勉強)。そのリリアーナ・カヴェーニ監督(1933年生まれ。現在はオペラ演出家としても活動)が、『愛の嵐』(1974)の3年後(1977)に撮った実在の人物、ルー・サロメをモデルに撮った作品。日本初公開は1985年。今回は、無修正にくわえ、英語版でも下着を着ていたシーンなどが全裸に変更されている。

 うーん、お見事。面白すぎました。ルー・サロメはロシア生まれ。ペテルブルグで哲学を学んだ後若いときから西欧に出、一流の知識人と交流し、数多くの著作をものす。男との知的交流の歴史=男からの求婚の歴史。「結婚は精神の牢獄」と断り続けるも、数学者カール・アンドレアスに「結婚してくれなければ腹を切る」と本当に腹を目の前で切られ、結婚。しかし夫との同衾は拒み、自分の人生を突き進むが。
 本作は、なかでも、「聖なる三位一体愛」のパートナーであったニーチェ、パウル・レーとの関係を中心に描く。ほかにも、マーラー、リルケなどいろいろ出てくる。

 何がすごいって、ルー・サロメの自己統制のききっぷり。伝統的な生き方に反旗をひるがえし、ふたりの男を愛したりすると、かならずその女の中の罪の意識が無意識のうちに彼女を苦しめ、最後は破滅にひっぱられてしまう、というのが定石なのだが、(『トリコロールに燃えて』『ノーマ・ジーンとマリリン』など)ルーはまったくそんなことがない。自分の道を突っ走り、全然ぶれない。かわりに、周りの男たちが次々壊れていく。でも、本人はまったく無傷なのだ。精神を病んでしまうニーチェ、アンドレアとの結婚に絶望し、場末の酒場で飲んだくれているところを、労働者達のリンチを受けて殺されてしまうパウル・レー。「ハラキリ」を知っていたのか知らずか、包丁で自分の腹をかっさばくアンドレア。それでも、彼女は男たちの屍を乗り越えて、前に進んでしまう。

 ファック・「行過ぎたジェンダーフリー」。そんな道徳主義者を、この作品は鼻でせせら笑う。それどころか、ジェンダー・フリー嫌いの例えば石原慎太郎なんかを、この作品は絶対に酔わせてしまう強さをもっている。それぐらい、ルーが殺人鬼的に魅力的なのだ。本当のラディカル・フェミニズムというのは、もはや悪魔的であり、だからこそ右翼の耽美派とも似てくるのである。ああ、三島もこの作品、好きだろうな。
 精神を病んだニーチェの頭の中が具現化される、全裸の男ふたりによる、バレエのシークエンスなんかもすごかった(えんえん5分ぐらいあったと思う)。あんな絵柄撮れる人、撮ろうと思いつく人、もう誰もいない。今のフェミ監督たち、ずいぶん去勢されちゃったものだ。

 現代の目から見ると、ルー・サロメが決して色っぽくないのも新鮮だ。『トリコロールに燃えて』のシャーリーズ・セロンなんかの方が、よっぽどコビコビしていたのに対し、ドミニク・サンダは顔立ちはもちろんととのっているものの、化粧っけもあまりない(『ピアノ・レッスン』のホリー・ハンターのような感じ)。つーか、ほとんど笑わない(ファム・ファタールなのに!) いつも本を書いているようなこむずかしい顔をしていると、男がどんどん寄ってくる。なんか、上野千鶴子さんを思い出しちゃった。上野さんって、絶対男にもてるだろうと私は思うのだが(実際会うと、まぶしいぐらいのオーラが出ている)、やせていて、笑わなくて、そして着ているものはものすごく凝っている。哲学女のエロス。

 映画見て、思いました。「女が完璧主義で、どこが悪い!」知でもいけるところまでいって、美でも、恋でもエロスでも、いけるところまでいって、何が悪いのでしょう。私も頑張ろうと思いました。きっぱり。

2月下旬 新宿K’s cinema他にて全国公開

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by ropponguimovie | 2005-11-18 01:29
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