『SAYURI』(問題作◆)

 試写鑑賞後、めずらしく、ハリウッド大予算ムーヴィーの記者会見に行っちゃった。ロブ・マーシャル監督を見たかったし(「会いたかった」という表現は使えないだろう)ぜひ質問したかったのだ。

 いちばん聞きたかったのは「水揚げ」のこと。映画の中でマーシャルはさゆりに(第二次大戦後進駐してきた大佐に向かって)「儀式は生活を楽しむコツである。儀式が生活にめりはりを与える。(ゲイシャの仕事はその儀式を人々に供給することである)」ということをいっていて、これは、日本人である私にもわからなかった「日本とは何か」の言語化だった。なるほど、いいこといわせるなと思った。

 様式化されたゲイシャの美の中で、もっとも儀式化されたのが「水揚げ」である。ゲイシャの初めての夜。性愛の儀式。この相手になる男は、経済力はもちろん、慎重に選ばれる。
「水揚げ」の語源は、切花の茎を切って水の上がりをよくすること、つまりその花を花として開かせるため、「何か(気?)」を通すことである。今花開こうとするつぼみ(関東では半玉、京都では舞妓)に気を通して、女として開かせる儀式を「水揚げ」と呼ぶのである。なんとエロティックで的を射た隠語かと思うが、それが儀式であり、花開かせるためにはそれなりに強い「気」をもった男とするのが、一般の売春(「女郎」)とは違うところなのである。
 マーシャルは記者会見で、「ゲイシャは単なるプロスティテュート(売春婦)ではなく、まさにゲイを売る女性たち、アーティストであるということが世界中にわかってもらえたと思う」とは言っていた。でも、そのわりに、「水揚げ」そのもののシーンはやけにあっさりしたものだった。
 (水揚げにいたるまでのさゆりをめぐる女と男たちのさやあてはかなり詳しく描かれるのだが)。

 同時に、さゆりは、初恋の人である「会長」(渡辺謙)にずっと思いを寄せている、というのがこの映画の大プロットであるわけで、そのわりに、水揚げをあっさり受け入れすぎではないかね? やはりそこには大きな葛藤があると思うのだが。なんであんなにあっさりしちゃったんでしょう? そのへんの監督の演出意図をお伺いしたいと思いますが?

 聞きたくありませんか? この答え。でも、今回はあててもらえなかった。「女優さんたち皆さんの秘めた恋についての思い出」とかの質問はやけに長かったのにさ。フォトセッションその他で2時間も待機する、長い長い記者会見だったのに・・・ちぇっ。

 今書いていて一つ自分で答えを見つけた。「さゆりは水の女」というのが今回のテーマである。コン・リー演じる初桃は火の女だし、ミシェル・ヨー演じる豆葉は土の女かな? さゆりは水になることによって、セックスに対してさえ、本当にあるべきゲイシャのすがた、完全に「芸神的存在」としての達観を得たのかもしれない。
 うーん、最初、性愛のシーンがお粗末なのは「やっぱりスピルバーグ映画だからなー」とか思ってて(ブエナ・ビスタ=ディズニーだし)、ボブ・マーシャルもやはりスピルバーグ御大の方針には逆らえなかったのかな、なーんて思ってたの。でも、これ、ボブの計算ずくの演出かもしれない。よく解釈すればですけど。

 セックスをめぐって傷つかない存在になるためには、セックスと人格が完全に切り離されていることが大切である。たとえセックスが自分のコントロール化に置けなかったとしても、私自身が穢れるわけではない。そういう確信が必要である。たぶん、そのとき、女性は昔から宗教がめざしてきた「巫女」になるのだと思う。メソポタミア文明なんかでも、「女神イシュタルの巫女と性愛を交わす」っていうの、ありますよね。
 でもね、そんなこと、現実にできますか? ムリ。本当に菩薩にならないと。そんな人、そんなに簡単にいるわけないじゃないですか。
 ゲイシャというのは、幸にも不幸にも、そうなる機会を与えられた女たちである。これが物語におけるゲームの第一歩。次々に挫折していく女達。また、さゆり自身も常に激しい葛藤に苦しむ。しかし、さゆりは持ち前の「水」の力によって、その道を歩んでいく…。

 としたら、この映画のラスト、とても変だ。そうなってはいけない終わり方なのだ。
 祇園の芸妓は子どもは生める。でも結婚はしない。子どもは母の子。母系の子。まるでマリアの処女懐胎のように子どもは生まれ、「祇園の子」として大切に育てられるのだ。
 このあたりに、私は実は女性が舞妓さん、芸妓さんに憧れる理由がある気がする。性的自己決定権を手放すことによって、かえって誰かの所有物ではなくなる。誰か自分で決めようとすると、「ひとりの夫のもの」という穴にはまる。これは、女の知恵というか、大どんでん返しである。
 でも、結局西洋の映画は、その「誰のものでもない=巫女的存在」であることをさゆりにゆるさない。その芸域に達して初めてはじめて「真のアーティスト」といえるのに。

 モデルである日本人のもと芸者、ミネコ・イワサキは、原作がベストセラーになった01年、原作者のアーサー・ゴールデンに賠償金を求めて告訴した。「身元を明かさない」という約束を破られた上、水揚げ料の額を暴露されたことが、慎み深さが重視される芸者の世界での名誉を傷つけられた、というのが主張だそうだが、イワサキの怒りは、結局、「聖なる性のひさぎ手」である芸者が、人間の男なんかに恋をしたと書かれたのが許せなかったのではないだろうか。

 女優に日本人が起用されなかったことであれこれ意見がかまびすしいが、「世界的視野でキャストを選んだ」という言葉を信じるなら、すばらしい日本の男性が「世界的視野」をクリアして選ばれたことを誇ってもいいのではないだろうか。記者会見壇上に並んだ渡辺謙と役所広司、ふたり並ぶとほんとにセクシーだったもの。「日本の中年男が全員渡辺謙と役所広司だったら、日本はずいぶん平和になるだろーなー」と思っちゃいましたね。美しかった。
 女優では、ミシェル・ヨー、映画の中でも、記者会見でも、とてもいい人で大好きになっちゃった。「私はモダン・ウーマン」だということを、はっきりいっていた。
 しかし、この映画でいちばんすごい俳優は、さゆりの子ども時代を演じた大後寿々花でしょう。なにしろ映画の三分の1彼女が主役なんですから。ロブ・マーシャルも「前半三分の1を演じてしかもそのあいだに観客にさゆりを好きにさせなければいけない。いちばん大変な役だった。キャスティングも一番難航した」といってました。
 『北の零年』で自分の娘役を演じたことから渡辺謙がロブに推薦して話が決まるんですが、英語もまったく話せなかった(ふつうの小学生なのでアルファベットも知らなかった)のに、まったくたいしたものです。

(追記1:主演に中国人のチャン・ツィーが選ばれたことについて)
 実はこのキャストのキモは「ダンス」だったと思っている。ニューズウィーク日本版によれば、チャン・ツィーに決まるまでの日本人の候補というのも、日本人在住のダンサーだったそうだ。容貌と演技力以上に、この映画でダンスは重要なのである。「芸者=アーティスト」なのだからね。
 で、結局ダンスの見せ場は「日本舞踊」とはいえないものに改変されてしまっているのだが、むしろ、付け焼刃の日本舞踊では絶対無理という判断ではないだろうか。
 バレエ学校出身で、『LOVERS』では演技よりその身体能力の高さで見る人を絶句させたチャン・ツィーは、日本舞踊のシーンでかなり頑張っていると思うけど、それでもちょっと決まらない。しかし、日本舞踊というのは、本当に難しいのである。もし日本から誰か押すとしたら、日舞をちゃんとやって演技もできる、という選考基準だと、歌舞伎の家出身の女優ぐらいになってしまうのではないっだろうか。(…とすると、寺島しのぶか? あ、松たか子がいた!)
 ロブ・マーシャルはもしかしたらドラマ以上にダンスにこだわりがあるだろうし、まあこうなるのは仕方ないのかなあ。ダンスの「きめ」のシーンでのチャン・ツィーの背中のしなりは、それはそれで見事だったのでした。

(追記2:芸者とは何か? について)
 「芸者はプロスティテュートでなく、アーティストである」って、敬意をはらってるようで実は変な気がする。それは、プロスティテュートを、「レイプされても金もらって笑ってる人間以下のもの」と、白人マッチョ文化の定義から始まるものでしょ。「至高の、神にも届くセックス」への憧れがない人がいますかね? 芸者はあれこれ人権を無視しながらも(それは事実)、そのことにまじめに取り組んできたシステムである(きっとそれは「SASUKE」みたいなものなのだ。第2ステージクリアぐらいの芸者はそれなりにいるのだろうが、至高のゴールに到達した者がいるかどうか。)
 いずれにせよ、セックス自体に罪の意識が意外と強いハリウッド映画は、その領域に踏み込むことは、きっと永遠にできない。だからこの映画は中途半端なんだと思う。ポランスキーあたりが作ればよかったんじゃないの?

(追記3 衣装について)
 着物が変だ、という話はどうせあちこちで書かれるだろうからまあいいでしょう。今、写真で確認したら、女性の着物が全部「棒襟」なんですが、今の日本人だって「棒襟」が何かわかんない人は少なくないだろうしね(私は和服の仕立てでお小遣いを稼いでいたことがあります)
 実は、私が一番フィクショナイズされてると思った着物は、さゆりが芸妓を目指す前の下地っ子だったときの着物。これは「質素」な着物のつもりなんでしょうが、日本の当時の貧乏な人はもっとすすけた着物を着ていただろうと思う。わざと男ものの着物を女ものに直したようなこの着物は、ちょーモダンに見えるのだ。なんつーか、アルマーニの逆輸入版みたい。あれ、すごくいい。気に入りました。
 そういえば、「キル・ビル」のルーシー・リュ―が着てた着物も、絶対着物がわかってる人が作ったという感じの色あわせで、ありえねーけど、美しかったね。

「参考になった!」
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by ropponguimovie | 2005-11-29 13:34
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