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『男たちの大和 YAMATO』★
雑誌「週刊金曜日」新年号1月6日発売)で、佐藤純彌監督のロングインタビューを担当しました。(実際にインタビューをしたのはオウム真理教を追ったドキュメンタリー『A2』の森雅之監督。私の仕事はテキストのまとめ)
 実は森さんはある雑誌からの執筆依頼がなければこの映画を見ようという気は起こらなかったそうだし、私もそうだった。森さんは新しい方の『戦国自衛隊』を見てがっくしきちゃって『亡国のイージス』も見に行かなかったそうだし、私も『ローレライ』でそういう気にさせられていた(『ローレライ』見なければ行ったかも。私は『亡国のイージス』は見たし嫌いじゃなかったから)
 しかし、一足先に試写を見た森さんが「恐れ入りました、参りました」という気持ちになって、主観金曜日でのこのビッグ・フィーチャーとして急遽取り上げることになったといういきさつ。(私はインタビューの前の日に依頼され、映画も見ずに東映撮影所でインタビューに立ち会う、という慌しいスケジュールだったのでした)

 森監督は、「このような戦争の悲惨さを描いた映画が、勇ましい宣伝キャンペーンとともに消費されていくことにいらだちをお感じになりませんか」ということを繰り返し質問していた。たぶんそれは、この映画の宣伝キャンペーンだけではこの秀作を見逃しただろう、という危機感からきたものだと思う。

 インタビューの3日後、私も映画を見て同じ事を感じた。私が反応したのはタイトルである。なにしろ見たらどっこい、内容は「男達の大和」じゃなかったからである。
 この映画は、当時の大和の最後の戦いの日々と、現代に残されてしまった人々(生き残ってしまった兵士や、その戦友の遺児)とのドラマとを、同時進行で描いている。で、現代のドラマの主人公は、生き残ってしまった神尾年少兵=仲代達也、戦後、戦災孤児を引き取ることに生きがいと見出した帰還兵の遺児=鈴木京香、広島の漁港で、いまひとつ将来が見えずにいる少年とを主人公にしている。つまり、老人と、女と、子どもである。佐藤監督は、ドラマツルギーからわざとこういう対立構図を作ったのだと思うが、この映画は主人公からして「男達の大和」ではない。「みんなの大和」である。でも、今回の宣伝キャンペーンは、あきらかに「男達の」といって見たくなるような人のみにキャンペーンをはっている。これは大変残念である。

 佐藤監督の演出は大変細やかである。本当にさまざまな角度から、人々の悲しみ、痛みを描いている。

 映画を見て私も泣いてしまったのだけれど、試写室で洟をすすり上げている年配の男性たちを見て、私は思った。私が泣くのはこの映画だけではないけれど、こういう映画でないと泣けない、という人々が、世の中には相当数いるのだと思う。そういう人たちがこういう映画を求め、「軍的なもの」を求めているのかもしれない。泣くために。唯一許された感情の解放の場を求めて。
 みんな、もっと泣くべきだよねー。映画なんて、そのために存在するようなものだもの。

 今回のインタビューは本当に面白いのでぜひ読んでほしいなと思っているのですが、結局、人を動かすのはイデオロギーじゃなくてドラマだなあと感じた。佐藤監督は、お会いしても非常に成熟した人柄を感じさせる人で、その視線が演出にそのまま生かされているという感じだった。
 重厚感のある、「戦争映画ってこうじゃなくちゃ」というエレメントがきちんと入ったいい映画です。

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(追記)
 ブログでいくつか『タイタニック』と似ている、という感想を読んだんですが、それは、話が似ているのではなくて、暗喩されているものが似ているからしょうがないかな、と思います。
 佐藤監督は、「大和」というのは日本近代史の象徴と感じた、とおっしゃってました。つまり、富国強兵で、しかもロンドン条約で戦艦の数が制限されため、「一つが多きければいい、強ければいい」というのが、日本が原爆で破壊されたのと時を同じくしてめちゃめちゃにされるわけです。それが未来とどうつながっていくかを描かなければ、救いようがありません。
 同時に、今思うと、『タイタニック』は、近代西洋の行方を暗示していたし、(技術におぼれ、沈むとか、結局助かったのは富める順だったとか)、ジャック・ドーソン君の人生がさらに西洋近代を暗示していたのでした。自由主義経済の中の一無産階級であった彼は、いちかばちかの賭けでアメリカに渡ります。その賭けにまあ、彼は敗れるわけです。しかし、その後、彼が花開かせたものがあった。それがローズの人生です。そこを描くのが、物語の物語であるゆえんなんですよね。

(追記2)
 「男たちがなぜ戦ったのか、いまいちよく描けていない」ことについて。
 これもまた一種の対立の構図だと思う。女達の欲望は簡単。「死んだらいけん!」 そこに理由はないし、理由がなくても共感できる。でも、この男達は、結局のところ、自分達にもどうして戦っているのか、よくわからないのだ。
 これは、ドラマとしては面白みが半減する。登場人物の行動のベクトルというのは、たとえ間違ったにせよ、理由があったほうがわかりやすい。例えば、「パール・ハーバー」のドゥーリトル作戦だって、(アメリカ人のくせに)「名誉の死を選ぼうではないか」なーんていわれると、「(全然共感しないけど)あなたはそう思ってるのね」ってことでドラマとしては納得できる。
 だけど、この作品の場合、もうしょうがないと思う。だって、そこに理由はないのだから。「国を守るため」とか「愛する家族を守るため」というのはやっぱりつけたしなのだと思う。だから、そんな理由では納得できないのだと思う。

(追記3)
 先週金曜日の「ニュース23」で、おすぎさんも、「タイトルだけで敬遠してたんだけど、見たらすごくいい映画だった」という趣旨の発言をしていた。みんなそう思うのねー
by ropponguimovie | 2005-12-11 23:47
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