『不都合な真実』『ダーウィンの悪夢』『サンキュー・スモーキング』

  またまた更新が止まっちゃってたのはこの3作のせいです。

 かつての大統領候補であるゴア氏の環境への訴えの世界行脚を撮った、ほぼ全篇レクチャー・ムービーの『不都合な真実』。映画の最後に「地球環境のためにできること」がいくつもテロップされる。「木を植えましょう」「ハイブリッド・カーに乗りましょう」から、「地元の議員にプッシュしましょう、いい議員がいなければ自分で立候補しましょう」まで。でも、「肉食べるのをやめましょう(減らしましょう)、乳製品もやめましょう(減らしましょう)」は最後まで出てこない。大豆と同じ重さの肉を食べるとき、えさとして鶏肉なら5倍、牛肉なら20倍の大豆を消費してしまうこと、その大豆畑を開墾するためにアマゾンのジャングルがばさばさ切られていることを、ゴアが知らないはずはないのだが。牛肉は食べ物の吟醸酒なのだ。

 ゴアの父親はかつてタバコ農場を経営しており、タバコの人体への害を知ったとき、罪悪感からタバコ農場を廃業したという(そのため一家の家庭経営は苦境におちいる)。その後どういう経緯があったか詳しくは語られていないが、しかし現在、彼は牧場を所有している。
 それを見たとき、「あーあーあー」と思った。本質的に、ブッシュと同じなのだ、アメリカ文化の子。牛の子という意味で。

 どうも牛というのは、不思議なパワーがあるらしい。それがはっきりわかるのは、牛を食べるのをやめて、牛を食べることを「他人事」として眺められるようになったからである。
 ステーキを食べると「スタミナがつく」と感じる人は多いが、それは、本当のスタミナとは違う、一種の「ハイ」なのだと思う。あれを感じると、一種、王になったような気がする。牛が神様である宗教は、ヒンズー教や、古代バビロニアの多神教などもそうだが(旧約聖書は、全能の神を信じられなくなった民が牡牛の偶像を神とする話が何度も出てくる)、アメリカもまた、キリスト教ではなく、牛教なのではないか。シカゴ・ブルズ、的にあたればブルズ・アイ、屁理屈をいえばブルシット。でも、そのブルが、人間の攻撃性として乗り移っている気がするのだ。

 一方で、魚、である。『ダーウィンの悪夢』見ると、ほんとうに魚が食べられなくなる。
 魚はもう、人間が必要なだけ釣り上げる、採取文化のたまものでも、肉を上回る上質な蛋白源でもなくなってしまったのだ。それはすでに工業製品である。
『ダーウィンの悪夢』では、ケニア、ヴィクトリア湖に誰かが放流したために大発生してしまった魚、ナイル・パーチを追っている。巨大なこの魚が日々捕獲され、沿岸の工場で加工され、冷凍のフィレ肉が輸出される。最上得意先は日本、(日本の回転寿司では「シロスズキ」という名前だった)、次は、BSEや健康問題で魚が爆発的な人気を呼んでいるEUだ。
 魚の「あら」は現地で一箇所にまとめて捨てられる。ものすごい腐臭とうじがわく。それを、フィレ肉など口に入らない地元の人は拾い上げ、煮たりあげたりして食べる…。

 私は肉だけでなく、魚と卵も食べないが(乳製品は、香り付けのためにだけちょっと常備品がある)よく、「え、魚も食べないんですか?」といわれる。私が魚を食べなくなったのは、ほとんどの魚を「まずい」と感じるようになったからである。とくに「えび」がだめだ。ヴェジになる直前は、ファミレスのサラダなんかにのっかっているえびを見ていると、腹がたっていた。あの、「とりあえず、えびのっけとけば、日本人は好きだろう」みたいな感覚がいやだったのだ。そして、えびそのものは、ちっともおいしくない。世界中の現地の人の自給自足の場を荒らして、世界銀行の借金返すためにえび養殖して、そして、そのえびがおいしくなかったら、目もあてられない。あれを食べると健康になれる気がしない。

 私は、食品が加工されるとき、その食品には、必ずその食品を加工した人の「思い」が入ると思う。たとえ、ジャンク・フードであっても、作る人がこめた思いがよいものであったら、そのジャンク・フードには、食べると健康になったり心が豊かになったりする「何か」が入るのだ。愛情に満ちた親子が食べるファスト・フードは、愛のない家庭で作られたマクロ・ビオテックより身体によい。そういうものは、ちょっと身体を敏感にしていればわかることである。
 そしてそう考えると、世界中から輸入されてくる動物性たんぱく質にこめられた「思い」がいいとは、私には思えないのだ。魚は肉より、さらにひどいかもしれない。

 とかいいながら、『サンキュー・スモーキング』を見ると、いったいこれがどこまで冗談なのか? 笑えなくなってくる。
 この映画では、喫煙を推進する専業ロビイスト(タバコ業界団体に雇われている)が、彼を攻撃しようとするバーモント州選出の議員(酪農大国)に向かって、「チーズの油分はときに喫煙より危険だ。タバコを毒物指定するならチーズも毒物指定を」と迫る(つまり有害物質の問題ではなく、何を選ぶかという人間の主体的問題だといいたい)シーンが、クライマックスとなっている。
 しかし、この映画作った人、ミルクに含まれるカゼインは人間のカルシウムをかえって対外に排出してしまう危険物質だって、知ってましたかね? この映画は一応、「タバコは悪」、チーズを悪というのはむたいな話、という前提条件があるからユーモアとして成立するのだが、タバコとチーズの悪玉ぶりは、実際、そんなに変わらないかもしれないのだ。

 私は最近、人間が文明化し作り上げてきたすべての加工食品は嗜好品だなあ、と思っている。ただ、上にも書いたように、加工するときに込められた「思い」「気」を食べて、人間は幸福になったり健康になったりする(その逆もありだが)。そこに人間の奇跡がある。だから、ややこしい。
 しかし、生食ダイエットやってたって、「嗜好」するオプションはじゅうぶんすぎるほどあるのだ。私なんか、今日のナッツ・ドレッシングをカシュー・ナッツで作るか、ペカン・ナッツで作るか考えるだけで、ワクワクしてしまうぐらい、嗜好性が強い。
 動物性たんぱく質の摂取が減らせれば、Co2は減らせる。考えるより前に手を止めるべきである。これほど簡単に、健康と環境と平和(攻撃性がなくなる)に貢献できることは、ないと思っている。


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by ropponguimovie | 2006-10-14 18:33 | 比較論やエッセイ
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