今週、いちばん癒せる映画vol.11『さくらん』

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 このメルマガは、今週公開される映画の中から、
「この映画は癒される!」という視点に絞って1本を紹介するマガジンです。

 今週おすすめの映画は、蜷川実花監督、土屋アンナ主演で吉原の花魁を描いた作品『さくらん』なのですが…、いきおいあまって、昨日、えんえんと、自分のもう一つのブログに書いてしまった…。「自分の性をコントロールすることを覚えた女=手練手管と、最後にたどりつく癒し」論については、こちらを見てね。
http://blog.livedoor.jp/isl/archives/50921294.html

 しかし、この『さくらん』については、いっぱい書きたいことがあるので、メルマガでは、別の観点から解説したいと思います。

 うーん、実は、女性監督が撮ったこの映画が、ストーリー的には『SAYURI』とけっこうかぶちゃってることが、最初は納得いかなかったんですよねー。
 
 でも、昨年、アメリカに行ったとき、ちょっと考え直しました。

 アメリカ人、ゲイシャ、好きです。特に、ヒスパニックの人、ゲイシャ、好きです。少ないサンプル数だから言い切れないけど。
 でも、日本人と見るやいなやゲイシャの話をしたがる(男も、女も)、あれは何なんだろうと考えて、ふと思った。

「聖母信仰(カトリックの特徴)とゲイシャ信仰は、近いところにある?」

 あるいは、「ゲイシャ・ストーリーは、女版『ベン・ハー』である?」

 つまり、「人間性を否定されるような場所に押し込まれても、聖なる部分をを失わなかった人」

「聖母マリア=子ども生んでも処女性を失わなかった人」

「ベン・ハー=奴隷に売られても高潔な魂を失わなかった人」

「ゲイシャ=性的自己決定権を失っても、高貴さを失わなかった人」

 それって、憧れじゃないですか。私たちは、奴隷とか女郎に売られなくたって、すぐ、高潔な魂を失うじゃないですか。

「親を安心させようとして銀行員になったけど、借り手に尊大な態度とらない人」

「お金持ちだけど問題をお金で解決しない人」

 そういうのになるのって、とっても難しいじゃないですか。

 だから、「ゲイシャ・ストーリー」というのは、一種の神話なのだと。そういう人が現実に生きていたら、ますます畏怖の対象になるだろうなあ、と思ってしまうのでした。

 話は変わりますが、このストーリーの後半、「しげじ」ちゃんという女の子が登場します。しげじは、主人公きよ葉の禿(かむろ=女郎になる前の見習いの少女で、一本立ちした女郎の付き人のような役割をする。女郎は自分の給金から、食費などの面倒を見る)で、女郎になる運命に徹底的にさからったきよ葉とは対照的な女の子です。
 いつも素直で、ポジティブ。「きよ葉姉さんが面倒見てくれるから、寂しくない」といって、泣かせます。郭の下男、清次が落ち込んでいたりすると、ずっと年上の清次に「お食べ」といって、菓子を差し出したりする、やさしい女の子です。
 しかし、幼いしげじには、幼いなりにして実に着いた信念があります。
 映画の中で、「金魚」が効果的に使われています。金魚は、女郎たちのメタファーです。当初、きよ葉が女郎になる運命に抵抗していた頃、当時のトップ花魁だった粧ひ(菅野美穂)は、「金魚は、びいどろの中でしか生きられない」と言ってのけます。「金魚を川に放すと、三代でフナに戻ってしまう」と。この映画は、このテーゼに逆らうきよ葉の心の旅のストーリーです。
 しかし、映画のラスト近く、きよ葉が重大な決断を下した後に、しげじは、水槽を飛び出してしまった金魚に語りかけます。「ばかだねえ、お前、お前はびいどろの中でしか生きられないんだよ」と。

 しげじは、ばかな子ではないと思うのです。しげじは、いわれるがままにそうなったのではなく、きよ葉とは別のサバイバル手段として、この命題を受け入れることを選んだのだと思う。彼女には彼女なりの自我があるのです。
 でも私、しげじを見ているとちょっと怖くなります。
 本当は、きよ葉が正しいとかしげじが正しいとかそういう問題じゃなくて、「身売り」という制度がなくなることが社会のインフラとして整備されてないとまずいんじゃないかと思うんだけど。そういう目をもっていないと、なんでもしげじみたいに解決しそうです。「今が幸せです、ありがとうございます」とかいって。

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by ropponguimovie | 2007-03-04 00:27
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