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理想~現実~また理想:『ボルト』

 ディズニーの夏の新作(製作総指揮はピクサーのジョン・ラセター)だが、「もう間に合わん」と思って見逃していたら、宣伝の浦谷さんが、「これは絶対に見ておくべき映画です!」といって電話をくれた。思い立つものがあり翌日見に行ったら試写室で号泣しちゃいました。よかった~

http://www.disney.co.jp/movies/bolt/

 今後ディズニーはこの路線を踏襲していくのかもしれない。どの路線かっていうと、自分をパロディ化する路線です。この路線の始まりは、自分で作ったディズニー・プリンセスを徹底的に蹴倒した「魔法をかけられて」だった。夢の中のお姫様を、「現実を知らない夢見る夢子」と規定して現代のNYに放り出した姫様は、そこで思いっきりジェンダー転換してバツイチ子持ちのさえない王子を自分が助けるべくエンパイア・ステートビルに自分で登っていく姿は、フェミニストたちの大喝采を浴びた。

 ……よく考えたらボルトもおんなじストーリー展開なのだ。「トゥルーマン・ショーの犬版」ともいわれるこの話。スーパーヒーローだと信じ込んでいる犬・ボルトは、実は迫真の演技ができるように、物心のついたときからTVセットの中だけで生きている。彼の飼い主であり、ドラマの主演である少女ペニーは、「素」の世界でも彼を家族のように思い、週末自宅に連れ帰りたいと思っているのだが、それは許されない。あるとき、ペニーが誘拐されたと勘違いしたボルトはセットを脱走、そこであれこれ間違いが起こって、ボルトが放りだされた先は、……ニューヨークって、ほら、「魔法にかけられ」とおんなじじゃん!

 でもね。私は思う。「魔法にかけられて」のお姫様ジぜルとは、ボルトとは、実はディズニー自体なんだと。「夢と魔法の王国」は存在するって一番いえなくなったのがディズニーだった。(シュレックのドリームワークスや、千と千尋の神隠しにさんざんオスカーを持って行かれ、興行的にもぱっとせず。ピーターパン2とかは内容的にもだめだめ)。そして、そんなディズニーは我々の鏡であったのだと思う。「夢と魔法の王国」は実は「民主主義」だったり「資本主義」だったりする。そんな「理想」の裏にはどこかで「やらせ」があり、やらせのひずみは舞台裏で弱い者がしょっている。夢と魔法を信じていた人々は「中流」であったので舞台裏を見なくて済んだが、「中流」がなくなった今、一握りの強者以外はみな舞台裏を見ざるをえなくなっているのだ。そして、「夢と魔法」とは、実は「無責任と依存」の別語(たとえば、銀行に黙って預けておけばお金が増える)みたいな)だったという現実に直面せずをえないのだ。

 その現実から、もう一度理想を築き上げることができるか? 「ボルト」はそういうお話。夢と魔法のないところに、あるのは自分の存在だけ。自分の存在で精一杯表現するものがあるとしたら、それは「愛」だけなのだ。

2009.8.1公開
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by ropponguimovie | 2009-07-01 01:25 |