カテゴリ:比較論やエッセイ( 10 )

今週、いちばん癒せる映画! vol.33 今秋・冬映画の展望

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今週、いちばん癒せる映画! vol.32 今秋・冬映画の展望

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 メルマガご購読、ありがとうございます。
 このメルマガは、今週公開される映画の中から,
「この映画は癒される!」という視点に絞って1本を紹介するマガジンです。


 先週、試写会プレゼントをやりましたら、メルマガ購読者が突然10人増えてました。
 ちょっと、嬉しかったです。


 このメルマガ発刊のときにたてた、目標は、「読者が100人になったら、
映画会社さんに交渉して、試写会プレゼント出してもらう」でした。
 それが、読者半分で、達成できた。
 これ、ぜひ、今後もトライしていきますので、これからも
よろしくお願いいたします。


 さて、今週は、順当に行くと『ベクシル 日本鎖国』なんですけど、
私はこの映画の設定にかなり疑問をもっております。

 だって、2070年って、温暖化で地表はないんだよ(いや、ほんとに)。
その頃出てくる「ニュータイプ」って、人間に「えら」があるんじゃないかと
真剣に考える今日この頃です。。。。


 というわけで、今週は、この秋・冬、注目の映画を、予告編的に
何本か紹介します。
 最近やっと、ふつうに試写室に通えるようになりまして、この秋冬は、
紹介したい映画が、たくさんあります。


『ヘアスプレー』(10月中旬公開)
87年オリジナル映画、2002年ブロードウェイでミュージカル化の再リメイク。
60年代バルチモア。白人のおでぶな女の子が、
ダンス大好きなゆえに、黒人文化に魅せられ…、というお話。
13キロの肉襦袢をつけて、主人公の母親役に挑むのは、ジョン・トラボルタ!


『パンズ・ラビリンス』(11月公開)
 今年イチオシかも~
 試写室連日満員(1度は入れなかった)
 外国映画なのにアカデミー3部門賞他、昨年~今年世界中で賞をとりまくっている、
 メキシコ発のダーク・ファンタジー。
 本当にかけねなしの「衝撃のラスト」だった…


『いのちの食べかた』(11月公開)
 「加工食品」って、お菓子やソーセージだけじゃない。近代社会では、
魚をさばくのも、牛をさばくのも、レタスをもいでラップに包むのも、
みーんな食品加工。みーんなベルトコンベアの上。
 ドイツのニコラウス・ゲイハルター監督が撮った
 それ以上でもそれ以下でもない映像を粛々と見せるドキュメンタリー。


『キングダム』(10月公開)
 アメリカFBIが、サウジアラビアに乗り込んで、アラブのテロリストを
一網打尽…という、アホなハリウッド映画に見せておいて、
実は、いいたいことは全然別にある映画。
 主演は、ジェイミー・フォックス。


『レディ・チャタレイ』
『チャタレイ夫人の恋人』って、バージョンがいくつもあるって、ご存知でした?
これは、D・H・ロレンスの第2稿を元にフランスの女流監督が映画化。
 キャスティングがすごくよい、じわっときた。


『バレエ・リュス』
 ロシア革命後、パリに亡命してきたダンサー達で作られた、伝説のバレエ団。
1950年代に完全消滅するまでの(一派はバランシンと共にNYCバレエに
引き継がれる)、彼らの運命をおったドキュメンタリー。
 今も元気で世界中でバレエを教える、バレエ界の日野原重明さんみたいな
ムッシュ、マダムがたくさん!


*******************************
「今週 いちばん癒せる映画」!」 vol.33  発行65部
出典を明らかにしていただければ、無断転載は可能です。
2007.8.17 発行
発行人・石塚とも
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by ropponguimovie | 2007-08-17 23:05 | 比較論やエッセイ

『グアンタナモ、僕達が見た真実』『約束の旅路』

 世の中には知らないことがいっぱいある。知るとつらいことを目に入れないようにして生きていくのはサヴァイヴァル・スキルの一つなので、知るとつらいことを目に入れる余裕があるということは、ありがたいことだと思っている。一方で、こんなことを知られずにいること、また、自分が知らなかった、というのを思うと、げんなりくる。

  マイケル・ウィンターボトム監督の新作、『ロード・トゥ・グアンタナモ』は、イギリス市民権をもつパキスタン系イギリス人が、パキスタンに里帰りした際、アルカイダに間違われて米軍に拘束され、グアンタナモ捕虜収容所に入れられてしまう話。このグアンタナモというのはキューバ(アメリカの自治区があり、そこではやり放題らしい。「グアンタナモ」で検索すると一杯出てくる)にある悪名高き収容所のことで、この映画がベルリンで銀熊賞を取った後、凱旋帰国した俳優(本人達がそのまま出演している)が、入国の際身柄拘束というおまけまでついた。
 
 『約束の旅路』は…、説明するだけでも複雑かつ泣けてくる話。エチオピアの山中には、古代からユダヤ教徒が住んでいた。近年になってヨーロッパ人が改修させたのではなく、自分たちを「ソロモン王とシバの女王の子孫」と称してユダヤ教徒であるエチオピア人がいるというのだ。
 70年代、エチオピアに内戦が起きて彼らがスーダンの難民キャンプに逃げようとすると、イスラエル本国のユダヤ人は、キャンプの中からユダヤ教徒だけを選んでイスラエルに「帰国」を実行した。これを「モーセ作戦」と呼ぶ。
 主人公シュロモは、母親とともにキャンプに流れ着いたが、彼はキリスト教徒だった。瀕死の母親は、息子をなんとか生かそうと、子どもを亡くしたばかりのユダヤ教女性に彼を託す。その女性は、彼が自分の息子でユダヤ人と偽ってくれ、シュロモ(ユダヤ教徒になってからつけられた名)をエルサレムに脱出させることに成功する。
 かくしてシュロモは命は助かったが、本当はユダヤ教徒ではないという自分を隠していること、黒人であるということで周囲から「二等ユダヤ人」的な扱いを受けることで、ますますアイデンティティの危機に襲われる…。

 原題がVa,vis et deviens というのだが、これは「行け、生きろ、(何者かに)なれ」という意味。母親がシュロモを捨てる(ユダヤ人女性に託す)に当たって彼にいったことばだ。これが泣ける。
 その場を去り、自分ではない別のものになれということは、アイデンティティ的には「生きるな」という意味である。しかし、生命のためにはそれが「生きろ」なのである。自分の一部を殺し、それにより新しい生を得る。それは、いじめから恋愛にいたるまで、人の魂の成長の軌跡である。であるから、この映画には非常に強い普遍性がある。それにしても、あまりに壮絶なストーリーである。


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by ropponguimovie | 2006-10-26 23:54 | 比較論やエッセイ

『不都合な真実』『ダーウィンの悪夢』『サンキュー・スモーキング』

  またまた更新が止まっちゃってたのはこの3作のせいです。

 かつての大統領候補であるゴア氏の環境への訴えの世界行脚を撮った、ほぼ全篇レクチャー・ムービーの『不都合な真実』。映画の最後に「地球環境のためにできること」がいくつもテロップされる。「木を植えましょう」「ハイブリッド・カーに乗りましょう」から、「地元の議員にプッシュしましょう、いい議員がいなければ自分で立候補しましょう」まで。でも、「肉食べるのをやめましょう(減らしましょう)、乳製品もやめましょう(減らしましょう)」は最後まで出てこない。大豆と同じ重さの肉を食べるとき、えさとして鶏肉なら5倍、牛肉なら20倍の大豆を消費してしまうこと、その大豆畑を開墾するためにアマゾンのジャングルがばさばさ切られていることを、ゴアが知らないはずはないのだが。牛肉は食べ物の吟醸酒なのだ。

 ゴアの父親はかつてタバコ農場を経営しており、タバコの人体への害を知ったとき、罪悪感からタバコ農場を廃業したという(そのため一家の家庭経営は苦境におちいる)。その後どういう経緯があったか詳しくは語られていないが、しかし現在、彼は牧場を所有している。
 それを見たとき、「あーあーあー」と思った。本質的に、ブッシュと同じなのだ、アメリカ文化の子。牛の子という意味で。

 どうも牛というのは、不思議なパワーがあるらしい。それがはっきりわかるのは、牛を食べるのをやめて、牛を食べることを「他人事」として眺められるようになったからである。
 ステーキを食べると「スタミナがつく」と感じる人は多いが、それは、本当のスタミナとは違う、一種の「ハイ」なのだと思う。あれを感じると、一種、王になったような気がする。牛が神様である宗教は、ヒンズー教や、古代バビロニアの多神教などもそうだが(旧約聖書は、全能の神を信じられなくなった民が牡牛の偶像を神とする話が何度も出てくる)、アメリカもまた、キリスト教ではなく、牛教なのではないか。シカゴ・ブルズ、的にあたればブルズ・アイ、屁理屈をいえばブルシット。でも、そのブルが、人間の攻撃性として乗り移っている気がするのだ。

 一方で、魚、である。『ダーウィンの悪夢』見ると、ほんとうに魚が食べられなくなる。
 魚はもう、人間が必要なだけ釣り上げる、採取文化のたまものでも、肉を上回る上質な蛋白源でもなくなってしまったのだ。それはすでに工業製品である。
『ダーウィンの悪夢』では、ケニア、ヴィクトリア湖に誰かが放流したために大発生してしまった魚、ナイル・パーチを追っている。巨大なこの魚が日々捕獲され、沿岸の工場で加工され、冷凍のフィレ肉が輸出される。最上得意先は日本、(日本の回転寿司では「シロスズキ」という名前だった)、次は、BSEや健康問題で魚が爆発的な人気を呼んでいるEUだ。
 魚の「あら」は現地で一箇所にまとめて捨てられる。ものすごい腐臭とうじがわく。それを、フィレ肉など口に入らない地元の人は拾い上げ、煮たりあげたりして食べる…。

 私は肉だけでなく、魚と卵も食べないが(乳製品は、香り付けのためにだけちょっと常備品がある)よく、「え、魚も食べないんですか?」といわれる。私が魚を食べなくなったのは、ほとんどの魚を「まずい」と感じるようになったからである。とくに「えび」がだめだ。ヴェジになる直前は、ファミレスのサラダなんかにのっかっているえびを見ていると、腹がたっていた。あの、「とりあえず、えびのっけとけば、日本人は好きだろう」みたいな感覚がいやだったのだ。そして、えびそのものは、ちっともおいしくない。世界中の現地の人の自給自足の場を荒らして、世界銀行の借金返すためにえび養殖して、そして、そのえびがおいしくなかったら、目もあてられない。あれを食べると健康になれる気がしない。

 私は、食品が加工されるとき、その食品には、必ずその食品を加工した人の「思い」が入ると思う。たとえ、ジャンク・フードであっても、作る人がこめた思いがよいものであったら、そのジャンク・フードには、食べると健康になったり心が豊かになったりする「何か」が入るのだ。愛情に満ちた親子が食べるファスト・フードは、愛のない家庭で作られたマクロ・ビオテックより身体によい。そういうものは、ちょっと身体を敏感にしていればわかることである。
 そしてそう考えると、世界中から輸入されてくる動物性たんぱく質にこめられた「思い」がいいとは、私には思えないのだ。魚は肉より、さらにひどいかもしれない。

 とかいいながら、『サンキュー・スモーキング』を見ると、いったいこれがどこまで冗談なのか? 笑えなくなってくる。
 この映画では、喫煙を推進する専業ロビイスト(タバコ業界団体に雇われている)が、彼を攻撃しようとするバーモント州選出の議員(酪農大国)に向かって、「チーズの油分はときに喫煙より危険だ。タバコを毒物指定するならチーズも毒物指定を」と迫る(つまり有害物質の問題ではなく、何を選ぶかという人間の主体的問題だといいたい)シーンが、クライマックスとなっている。
 しかし、この映画作った人、ミルクに含まれるカゼインは人間のカルシウムをかえって対外に排出してしまう危険物質だって、知ってましたかね? この映画は一応、「タバコは悪」、チーズを悪というのはむたいな話、という前提条件があるからユーモアとして成立するのだが、タバコとチーズの悪玉ぶりは、実際、そんなに変わらないかもしれないのだ。

 私は最近、人間が文明化し作り上げてきたすべての加工食品は嗜好品だなあ、と思っている。ただ、上にも書いたように、加工するときに込められた「思い」「気」を食べて、人間は幸福になったり健康になったりする(その逆もありだが)。そこに人間の奇跡がある。だから、ややこしい。
 しかし、生食ダイエットやってたって、「嗜好」するオプションはじゅうぶんすぎるほどあるのだ。私なんか、今日のナッツ・ドレッシングをカシュー・ナッツで作るか、ペカン・ナッツで作るか考えるだけで、ワクワクしてしまうぐらい、嗜好性が強い。
 動物性たんぱく質の摂取が減らせれば、Co2は減らせる。考えるより前に手を止めるべきである。これほど簡単に、健康と環境と平和(攻撃性がなくなる)に貢献できることは、ないと思っている。


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by ropponguimovie | 2006-10-14 18:33 | 比較論やエッセイ

ふたたびごめんなさい

 また一ヶ月放置してしまいました。
 やっと少し落ち着いてきたので、また少しずつ投稿していきます。
 これからは、公開時期に合わせてアップするなど、見やすく工夫していきます。

 おかげさまで、私のもう一つのブログがとても盛り上がっています。
 よかったら、そちらも遊びにきてください。

 ISL・六本木だより

 ブログ村への投票も嬉しいです。
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by ropponguimovie | 2006-05-09 13:02 | 比較論やエッセイ

ごめんなさい

 1ヶ月以上もこちらのブログを放置してしまい、たくさんのTBにお返しができなくてすみませんでした。
 これからも少しずつ自分の視点で映画を分析、紹介していきたいと思っています。
 よろしくお願いします。
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by ropponguimovie | 2006-04-07 22:14 | 比較論やエッセイ

見たい映画をつなぐタスキ

 映画友達というよりは、ソーイング友達としてお付き合いが始まった(ソーイングは私の趣味なので)るるる的雑記帳のるるるさんから回してもらいました。

1 過去1年間で1番笑った映画

   『チーム☆アメリカ ワールドポリス』
   今週公開です。皆さんも笑ってダメダメになりませう。

2 過去1年間で1番泣いた映画

  『ニライカナイからの手紙』
  鼻水ぐずぐずになりました…

3 心の中の5つの映画
 
  『リバー・ランズ・スルー・イット』(ロバート・レッドフォード監督、1992年)
  癒し系映画の最高峰。
  この映画に出てくるブラッド・ピットは、輝くような美しさです。
  表面的にはまったく問題を感じさせないのに、内側から少しずつ壊れていった
  弟への思いを、兄が回顧する形で描いています。
  この作品は、原作小説もいいです。
  余談ですが、公開当時、来日したレッドフォード監督が、
  「この映画を、『フライフィッシングの映画』と呼ぶバカなやつがいる」
  と、阿川佐和子対談で怒ってました。

  『セントラル・ステーション』(ウォルター・サレス監督 1998年)
  リオデジャネイロの駅で「代書屋」(字が書けない客に代わって手紙を書いてやる)
  をやっている中年女性が、少年と心を通わせていく話。
  この女性は、大酒飲みで死んだ父親との確執から立ち直れていなくて、
  手紙を書く仕事をしているのに人と人との心の交流を信じない、
  いわば「究極の負け組」なのですが、事故で突然身寄りをなくした少年との
  間に、次第に心を通わせていきます。
  「誰にも手紙なんか書いたことのなかった私が、あなたには書きます」
  というラストシーンは、今書いていても涙ものです。

  『天使にラブソングを…』(エミール・アドリーノ監督 1992年)
  私が映画評を書き始めることになった原点のような作品です。
  離婚のストレス(自分で決めたにもかかわらず)から、
  体調を崩してしまい、何も食べられず、神経性の下痢に苦しめられながら見た作品。
  「笑いって何だろう?」 「希望って何だろう?」 根本的に考えてしまいました。
  

  『モーターサイクル・ダイアリーズ』(ウォルター・サレス監督 2003年)
  プロデューサーはロバート・レッドフォード。
  彼は、最近、メディアでは目立っていませんが、
  青春映画を撮ること、彼がアメリカに向けて見せること、の、集大成のように思えます。
  南アメリカの英雄、チェ・ゲバラの若き日の旅行記をもとにしており
  ちょっとおぼっちゃまの無茶でかわいい青春の日々、
  そして、今も南米にある貧困格差を前にして、社会変革とともに生きる決意に
  つながる布石が、みずみずしく描かれています。

 
  (空席)(『8 mile』 『サイダーハウス・ルール』 『バットマン・リターンズ』『やさしい嘘』『ファイト・クラブ』 の中からどれか)

4 見たい映画
  『ホテル・ルワンダ』

  『First food Nation (リチャード・リンクレイター監督の新作)』
  リチャード、愛してます。会いたい、話したい、結婚したいかも(笑)。
  『ウェイキング・ライフ』の冒頭に出てくる女の子は、彼の娘さんなんですけどね。

  『ティム・バートンのコープス・ブライド』


5 「利用価値のない日々の雑学」のturtooneさんにお願いしました。
  turtooneさんはいつも非常に博識を感じさせる映画評を書かれる方で(「バットマン・リターンズ」のキャット・ウーマンの本名がセリーナ・カイルだというのは、こちらを見るまでわからなかった)、いつも興味深く読ませていただいていました。今回、たすきをつなぐという形でお声がかけられてうれしいです。また、そのたすきたっち先のネタバレ映画館さんも、以前TBしていただいて以来、ときどき見せていただています。

(雑感)
 今まで、「試写室で映画を見て雑誌に映画評を書いている人」というのをことさらに強調するでもなく、でも、隠すわけでもなくやってきたわけですが、今回たすきをつないでもらって、「自分がウェブでどう発言していきたいのかな?」見えてきた気がしました。ようするに、「ウェブで発言する以上、みんな平等」ってことです。
  もちろん、読んで面白く、説得力のある評を書いていきたいと思いますが、特定のジャンル、特定の俳優についてプロより詳しいアマチュアがいることも、大いにありえるでしょう。自分も、他の方も、おたがい「はっとさせられる」というか、そういう相互的な刺激を与え合っていけるのがウェブのよさでしょう。
 時間とエネルギーの都合で、コメントらんをはずしていますが、本当はさびしかったりするのだ(笑)。今後も、TBでいろいろな意見の輪を広げて生きたいと思います。
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by ropponguimovie | 2005-07-26 00:26 | 比較論やエッセイ

イギリス映画と「階級」について

 教材は『ブリジット・ジョーンズの日記』と『やさしくキスをして』(ケン・ローチ監督、2005年夏公開)です。

 先日、イギリスからの帰国子女の女性と話す機会がありました。彼女がいうには、
「私から見ると、ブリジット・ジョーンズって、うらやましいというと語弊があるけど、すごく贅沢な人に見えちゃうんですよ」
 ブリジット・ジョーンズと弁護士のマーク・ダーシーは、「幼なじみ」だということになっています。作品の中ではお互いの母親が編んだ熊ちゃんの柄(雪だるまだっけ?)のセーターなんか着せられたりして、お互いに恥じ入ったりしている。でも、彼女にいわせれば、幼なじみの中に弁護士になる男がいるっていうことが、そもそも中産階級の証だというんですね。
 日本だったら、あなたが、あるいはあなたの友達が弁護士と結婚すると言うのはありえないことではないけれど、イギリスでは、「弁護士の幼なじみがいる」コミュニティと「どこを探したって弁護士になる幼なじみなんかいない」コミュニティは、はっきり分かれている、と。

 それをわからせてくれるのが、ケン・ローチの映画、とりわけ新作の『やさしくキスをして』です。この作品は一種のロミオ&ジュリエットで、男性はインド系の家庭に育ち、婚約者も親によって決められているような家庭です。白人の女性と付き合えば親が泣く、お姉さんの婚約話が破談にされる、そうやって、がんじがらめになってしまう。
 しかし、一方、このインド系の男性と恋に落ちる白人女性は、カトリックだが夫とは別居中の身。地区の代用教員をつとめていて、正式教員に採用されるには、地域のカトリック司祭の推薦状が必要です。
 2人は地域の慣習や宗教にがんじがらめにされます。でも、この共同体の中に「弁護士になるような幼なじみ」が出てくることは、決してないのですよね。
 とっても狭い、もしかしたら狭くさせられた、出口をふさがれた世界の中で対立が起こっている。そう考えることは、この映画を何倍も痛ましくさせます。

 一方、ブリジットの痛ましさは、「弁護士の幼なじみがいる」ような社会階層に生まれてはみたが、その階層にはその階層で、「女性はこーあるべき!」と周囲から求められる強烈な思い込みがあり、その思い込みにまったくついていけないことにあります。
 私が思うに、その思い込みとは、「試行錯誤」いいかえれば「じたばた」が赦されないことだと思う。いつも、一発で決めなければいけない。
 女性解放は進んだかに見えるけれど、その実、「キャリアある才色兼備の女性」が、「よい主婦になれる才色兼備の女性」にとってかわっただけ。
 ブリジットの脂肪は、そんな女性達に課せられた狭い狭い枠から食み出す、いや、枠を壊して前に進むために必要なのかな、と思ってしまいます。
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by ropponguimovie | 2005-05-18 20:04 | 比較論やエッセイ

字幕ナシでビデオに挑戦

 GW中、今まで見たことのなかった旧作のビデオを4本、字幕ナシで見てみました。
 毎日のように洋画を見ているわけですが、仕事として見るとなると、どうしても「間違えちゃいかん!」という気持ちから字幕に頼りがちです。試写室で見る映画はヒアリングの足しにはあまりならないのです。
 その点、休み中のビデオ鑑賞は間違えてもいいので、リラックスして楽しめました。

『アメリカン・ジゴロ』
 以前から見たかった問題作ですが、六本木ヒルズの「アルマーニ展」を見たらいよいよ興味が高まって、レンタル。アルマーニの名を(そしてリチャード・ギアの名を)ハリウッドに知らしメタ作品といわれていますよね。
 ストーリーをまったく知らない状態で見ました。
 サスペンスのためか、「マーダー(殺人)」「ディテクティブ(刑事)」「ジュウル(宝石」」「アリバイ」などのキーになる英語がわかれば、そんなに難しくなくわかる作品でした。あと、主人公が身体で生きている人なので(!)、そんなに難しいことをいわない、というのもあります。
  リチャード・ギアが人妻あいてにジゴロの女殺しテクニックを発揮するシーンは、字幕ナシで断然たのしめました。「クロ~ジュアイ~ズ」なんてささやきは、字幕をおうより聴覚をフルにつかったほうが何倍もいいですよね。

『卒業白書』
 トム・クルーズのブレイク前夜作。
 彼がエッチな夢を見る導入部分のモノローグは簡単、両親と旅行や将来の進路について話し合うシーンもついていけましたが、高校のクラスメイトと話すシーンになると突然わかんなくなります。若者同士のカジュアルな会話は難しいです。
 そのあたりの、彼が危ない冒険にはまっていくあたりだけを日本語の字幕つきで見て、はまってからは字幕なしに戻しました。
 この映画は、主人公の行き着く先がわかっている映画なので、大枠がわかればそんなに難しくありませんでした。

『アメリカン・サイコ』
 殺人マシーンなボクチャンが次々人を殺していく映画なので大丈夫だろう、と思っていましたが、意外と難しかった。
 というのは、このボクチャンは、しょっちゅう似たような境遇のホワイト・ヤンエグたちとメンバーズ・クラブみたいなところに行ってくだらないおしゃべりに興じているわけですが、このおしゃべりがわからないのです。彼らのキャラクターをあらわす会話だと思って字幕をつけてみたのですが、「女は若いのがイチバン」とか本当にくだらないことをいっていて、そのおしゃべりに耳を傾けようとした自分がバカみたいに感じました(笑)。
 「俺の名刺より、彼の名刺の方がセンスがいい、くやしいから殺そう」とかね。うんやっぱり、セリフの理解が重要な映画でしたね。

『ガタカ』
 これは、ストーリーをだいたい知っていて見ました。
 主人公が「過去の自分」であるときは大丈夫でしたが、ジュード・ロウが出てきてからわかんなくなりました。ジュード・ロウの役に頼る役ですから。恋人役のユマ・サーマンとの会話も聞き取れませでした。結局、全体の2/3まで字幕つきで見て、字幕ナシに戻しました。
 最後の「今まで地球に居場所なんかないと思っていたのに、地球を去るときは寂しかった」というセリフは、ちょっとぐっときました。

 全体的に思ったのは、字幕を見ていると、英語という言語だけでなく、映画全体を包む「ノイズ」みたいなものを聞き逃すすということです。
 「日本語の音は四角く、英語の音は丸い」といわれます。日本語はすべての子音に母音がつくため、きくと「かくかく」して感じ、英語はただでさえ少ない母音をさらに省略していくので、なめらかに丸く感じる。
 その、なめらかな丸い空気が、字幕をはずすと聞き取れてきて、そのなめらかさが聞き取れるから言語も聞き取れてくる、そういう感じがしました。
 で、そのなめらさかさには、DVDを10分ぐらい見ているとすぐなれるので、あまり心配しなくても、行くところにいけば英語って身体からわかるようになるかも、と、ちょっと楽天的になりました。
 次にこれができるのは夏休みかな? またやってみようと思います。
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by ropponguimovie | 2005-05-12 19:38 | 比較論やエッセイ

映画の中の「むごたらしい」表現について

 教材は『リトル・バーズ』と『ザ・インタープリター』です。
 ところで『リトル・バーズ』は全然お客さんが入っていないらしいです。
 …話を戻しまして。

 映画の中では「におい」を描くことが難しいといわれますが、映画『リトル・バーズ』を見たときに感じたのはとにかく全編「血の匂いが鼻をつく」という感じで、見ていて思わずハンカチで顔をおおってしまうほどでした。

 秘密は、徹底的に音楽を排した演出にあります。ドキュメンタリーで音楽なしですから、もうほとんど生のままの映像。それも、空爆直後の混乱した状況下で撮られているわけですから、カメラは揺れるし、照明は暗いし、映像としては凝ったことを何もしていないのです。
 もちろん「これを撮ったこと」にまずは価値をおかれるべき映像ですから、まさか「カメラがぶれてる」とか「光が暗すぎる」と文句をいう人はいないと思いますが、それでも、「手がかかっていない」ということは事実なわけです。

 『アルフィー』の投稿で書いたのですが、愛とはケアをすること、手をかけることだと私は思います。とすると、この映像は(撮影者はベストを尽くしたにしろ、結果的に)手がかかっていない映像です。その「手をかけない」という逆説的な演出方法が、においまでわからせてしまうほどに、ありありと被写体の「むごたらしさ」を伝えるのです。

 例えば、誤爆直後。カメラは怪我をした人が泣き叫ぶ白昼の商店街を追っていきます。カメラがふと道端に視点を落とすと、道に血だまりができています。白い太陽の光に照らされた血だまり。音楽なし。足音かなんかは聞こえる。それを見て、ふと築地市場かなんかの魚をさばく場所の床が連想されました。そのとたん、血なまぐささがぐっと漂ってきました。そんなふうに、演出されない映像は、私達のごく身近な、演出されない風景を想起させます。演出されない映像は、私達が身体で知っている映像の近くにあります。だから、映像は視覚を超えて、五感をフルに通して、「むごたらしさ」を感じさせるのです。ケアのない映像から、そこに愛がないことが伝わってくるのです。

 対して、『ザ・インタープリター』ではニューヨーク市内で、民族主義テロリストによるバス爆破テロ事件が描かれます。
 この映像はすごいです。バス一台がまるごときれいに炎に巻かれる。劇映画では、その恐ろしさを最大限に撮りきったシーンだと思います。
 ところが、このシーンは、「すごい」けど、「むごたらしくない」のです。
 それはおそらく、監督はじめスタッフ達が、この映像を「すごく」するために最大限手をかけて、つまりケアをして作ったからだと思います。ここから伝わってくるものは、バスの炎上を「美しい」とさえ思わせてしまう職人芸です。かつて殺人の職人であったサムライたちが死を美しい様式美にまでもっていってしまったように、そこにむごたらしさは感じられなくなってしまうのです。

 これは劇映画最大のパラドクスだと思います。むごたらしさを伝えようとして技術をこらせばこらすほど、そのシーンはむごたらしくなくなってしまう。コッポラの「地獄の黙示録」をはじめとして、凝り性の監督が作った戦争映画は、みな「むごたらしさ」とは違う方向に行ってしまいます。

 『リトル・バーズ』は、イラク派兵の賛否とかを抜きにして、映画が好きな人ならぜひ見に行ってもらいたい映画でもあるのです。ケアされた映像とケアされていない映像。その違いがこんなにはっきりわかる映画はそうありません。そして、ケアされないということがいかに悲しいことかわかる映画でももちろんあります。
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by ropponguimovie | 2005-05-07 00:58 | 比較論やエッセイ

『アビエイター』と『Ray』について

 『アビエイター』を見たときレオナルド・ディカプリオに感じたことは、「今までの映画で彼が発揮してきた魅力が全部入った映画だ、とりわけ『タイタニック』のときになくて『アビエイター』にあるのは「うさんくささ」だ」ということでした。
 『ギルバード・グレイブ』で見せた繊細さ、『太陽と月に背いて(私はレオの作品の中ではこれが一番好き)』で見せたキレキレさ、『タイタニック』や『ギャング・オブ・ニューヨーク』で見せた正統派ヒーローとしての側面、そして『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』で初めて彼が身につけた(?)うさんくささです。そして、この4つの側面が揃ってアメリカ映画のヒーローは正統派・アメリカン・ヒーローとなりえると思うのです。『タイタニック』のときには「うさんくささ」がありませんでした(笑)。だから、彼が評価されるなら、今の方がよりよかったのではないか、彼は待った甲斐があったのではないか。そんな印象をもちました。

 ただ、逆に、この4つの側面がきれいに揃ってしまったことが、かえって彼を「正統派・アメリカの物語のヒーロー」の枠に押し込めてしまったようにも思えました。たとえば、『ビューティフル・マインド』のラッセル・クロウなんかと似ちゃった感じがしたのです。なんかこう、器械体操とかアイス・スケートといった演技系ツポーツの採点をしているみたいで、「盛り込むべき構成要素がこれとこれとこれとこれがクリア」とジャッジでもしたくなる感じ。その結果として、「面白みのない、期待どおりのアメリカン・ヒーローだった」という感じも否めないのです。

 そして、対しての『Ray』です。ジェイミー・フォックス演じたレイ・チャールズという主人公もまた、完璧に上記の「アメリカの正統派ヒーロー」の構成要素をクリアしているという点に注目です。繊細さ、キレキレさ(それもトラウマにもとづく)、正統派ヒーローとしての側面、うさんくささ、ね、全部あったでしょ。
 そういう意味では、どっちが賞をとっても、あまり変わりはないなあ、というふうに私には思えていたのでした。
 しかし、「さらにそれに味付けした個性」という点では、ジェイミー演じたレイ・チャールズの方が上だったかも、ですね。こういう点では、民族的マイノリティも逆にプラスに働くといえますし。俳優ふたりの演技力というより、演じたキャラクター同士の比較、という点でジェイミーの方にちょっとアドバンテージがあったかもしれません。

 ところで、『コラテラル』で「今度こそオスカー」といわれかかったトム・クルーズ、この季節になると本当に黙殺されてしまう人なんですねえ。レオ様がオスカーとれなかったことより、あの無視加減の方がつつきたくなった私でした。『コラテラル』がオスカーに値するかっていう以前に、本当にすっぽりと消えてしまうんですよねえ。なんか気味悪い。
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by ropponguimovie | 2005-03-24 08:31 | 比較論やエッセイ