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『チーム★アメリカ/ワールドポリス』

 「夏休み公開なのに、18禁になってしまいました…」宣伝会社の方のあいさつが、あまりにしょぼくれて悲しそうだったので、場内にクスクス笑いがもれる。しかしなー、見せられないでしょこれ。史上初? 人形同士のセックス・シーンなんか、杉本彩にだってたぶんできないもん、下品すぎて。なぜなら人間である彩様は、どんなに服を脱いだとしても「見るからには私のこと『美しい』といわせなきゃ気がすまない」というプライドがあるが、人形にはそれがない。人形というのは前提がすでに恥知らずである。そこからこの映画はスタートしている。

 監督自身がいっていることだが、「これはブッシュ叩きの映画じゃないよ」。「何もかも叩いてるんだ」。まったくその通りで、もう何が何やら。「世界の警察」として秘密組織されたチーム・アメリカの目下の敵は、ハリウッドの非戦俳優協会FAG(おかまの意がある)だが、この非戦協会は、世界平和を維持するため、北朝鮮が主催するイベントに手を貸してしまう、という設定なので、結局どっちが平和だか軍事だかわからなくなってくる。映画はブッシュを叩き、キム・ジョンイルを叩き、ハリウッド・システムを叩き、非戦を唱えるショーン・ペンを叩き、マイケル・ベイが作ったパール・ハーバーを叩き、ベン・アフレックが演技力がないことを叩き(←ほとんど映画のストーリーと無関係にこういう笑いが入ってくる)世界中を叩いてしまう。
 
 プレスのトップにこのような注意書きがあって、(次のような方はご注意ください、1禁止用語に眉をひそめてしまう人、2、心臓の弱い人 3.ブラック・ジョークについむっとしてしまう人 4 挑発に乗せられやすい人 )わたしは1とか3に該当するし、「サウス・パーク」も一部好きになれない人だったので、大丈夫かな? と少し心配だった。しかし、待ち時間の間にオリジナル・サントラの歌詞カード「America, Fuck Yeah!」を読んでいたらそれだけで力がへなへなと抜けてしまい、映画を見る頃にはこの映画にすっかり「いいようにされる」準備が出来上がってしまっていた。つまりこの映画は、叩きすぎて、結局何も叩いていないのである。Aを叩いた後、Aに敵対するBを同じように叩いてしまうから、AとBは結局両方とも同じだけへこみ、AとBにダメージの違いは見られない。叩いてはいるが、追い詰めてはいない。そんなに痛いところをついているわけでもない。そもそも「America, Fuck Yeah!」って、肯定だか否定だかわかんないじゃない。

 キム・ジョンイルが、「ボクは寂しい、ボクは孤独」という歌をうたうくだりがあるが、これなど、とても叩いているようには見えないものね。でも、本人は激怒するのだろうか。石原慎太郎だって、田中康夫に「心の中に大きな恐怖を抱えている人だ」といわれて(図星だってみんなわかってるのに)「俺の中のどこに恐怖があるというのか、失敬な」と怒ってたから、やっぱりムリかな。
 ところで、キム・ジョンイルの歌う「I feel lonely」、どう聞いても「I feel Ronely」に聞こえる。韓国語でもLとRは間違いやすいのか、それとも日本語と混同しているのか。ちなみに北朝鮮、アメリカ以外に一番よく出てくる国はやっぱり日本で、日本ももちろん叩かれてます。
 
 わたしはとにかくもう、人形の精巧な造りのトリコになった。この人形、身長が大人の人間のひざまでぐらいで、ということはスーパー・ドルフィーよりちっちゃいのだが、衣装のつくりがめちゃくちゃ凝ってる。人間の服にだってまず入ってないカットソーに胸ダーツとか入ってるんだよねー。

5月30日公開
7月30日より、シネアミューズWEST,シネリーブル池袋他で公開
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by ropponguimovie | 2005-05-31 00:43

『理想の女(ひと)』

 オスカー・ワイルドって『サロメ』ぐらいしか知らないけど、そして、サロメも結構あぶない話(谷崎潤一郎風?)かと思っていたけど、同じオスカー・ワイルド原作のこの映画は、全然そうじゃなくて、ハート・ウォーミング系だった。どっちかというと、O・ヘンリ短編集系の後味である。カップルで見ても、友達と見ても家族で見ても、「ちょっといいもの見たね」と思える作品である。

 原作では、舞台をワイルドが生きた19世紀末のロンドンの社交界を舞台にしているが、本作では舞台を、1930年代の南イタリアのリゾートに置き換えている。前年に大恐慌があったものの、ここに避暑にやってくるのは、アメリカをはじめ、世界中のお金持ちばかり。その夏の最大の話題のカップル、若く、ハンサムでリッチな夫ロバート・ウィンダミアと、身寄りがないがその若妻となったメグをめぐる、スキャンダルのお話。

 『ロスト・イン・トランスレーション』や『真珠の耳飾の少女』のスカーレット・ヨハンソンがその若妻役なのだが、彼女がうまくてねえ。最新のファッションなのに、着ても着ても垢抜けないところなんかもいいし、そもそも、彼女は横からみると口が半開きなときがしばしばあって、それがまたいかにも「物を知らない」という感じがする。対して、夫婦のスキャンダルにからむ中年(といっても、推定38歳ぐらいだと思う)女がヘレン・ハントで、彼女はどちらかというと色気のない女優と思われていたが、ここでは成熟した魅力を発揮する。

 何度も映画化されている『危険な関係』などのように、古典小説(この場合は戯曲だが)、大掛かりで大胆で、人を飽きさせない。大きなナイフでガンガンと料理していくような切れ味いいプロットが気持ちいい。

 それにしても、「理想の夫」を演じる英国の男優のマーク・アンバースの役どころが、ハンサムだけどつまんなそうな男でねー。こういう役を演じるのも、大変でしょうね。
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by ropponguimovie | 2005-05-31 00:28

『フォーガットン』

 ジュリアン・ムーア主演のサスペンスなのですが、裏テーマが「母の愛」なのです。この主人公でない女性が主人公だったら、話が全然違っていたのではないか? とどうしても考えてしまい、それについてはまだ答えが出ないのですが、結構面白かったです。

6月4日 日劇3 他で公開
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by ropponguimovie | 2005-05-31 00:05

『バットマン・ビギンズ』

昔、「ティム・バートンという若手でへんてこりんな映画撮るヤツがいるからそいつにバットマンを撮らせよう」と最初にいい出した人もえらかったと思うが、「クリストファー・ノーランという若手にバットマンの新シリーズを撮らせよう」といった人もなかなかなのではないかな。バットマン大好きな私も、「彼ならいーじゃん」ととても楽しみにしていた。若干の不満はあるものの、上々のバットマンが出来上がったと思う。

 ぱっとみて印象的だったのは、「空」である。映像を見てはっとさせられたのだが、そういえば、『メメント』も『インソムニア』も、白昼のシーンがあったにもかかわらず、曇っているわけではないが太陽が出ているのも感じさせない、独特の「白い闇」という感じがあった。ブルートーンか何かで補正しているのだろうか、とにかく、「ノーラン・ホワイト」とでもいえるような独特の空の色が、バットマンの心情と合致している。もちろん、ゴッサム・シティがその輝きを増すのは夜なわけだが、バットマン誕生以前を描く本作では昼間のシーンも多いため、この空の色が生きたと思う。
 昼間のシーンで、一度だけ、太陽を感じさせるシーンがある。子供だったブルース・ウェイン少年が、両親につれられ、高架鉄道でゴッサムの中心街のオペラに向かうシーンだ。このシーンだけ、ゴッサムの摩天楼に影がつけられ、太陽がさんさんと降り注いでいることがわかる。それ以外のシーンでは昼間でも影がないから、やはりあの空は計算してのことなのだろう。

 両親が目の前で殺された後、青年ブルースは世界を転々として、結局ヒマラヤの奥地で格闘技の修行を重ねることになるのだが、このエピソードは私には少々納得いかなかった。バットマンは、修行なんかしてはいけないと思ってしまうのは、私だけだろうか。子供の頃の心の傷が癒されない彼は一種の引きこもりであり、しかし6畳間に引きこもるしかない日本の若者と違って、彼の場合は引きこもれるテリトリーが広いから、あまり引きこもりであることを感じさせない。そのテリトリーの中で、執事アルフレッド(彼は立場が下の者であり、決して対等ではない)を手下に作り上げてしまうのが、本来のバットマンの世界である。他に師匠がいるというのは、他に師匠がいるというのは、殺された父以外に別の父なる存在をもつということで、その瞬間、父喪失を乗り越えてしまう、という矛盾を抱える。つまり、バットマンをバットマン足らしめなくさせてしまうのだ。

 とまあ、これは結構大事なポイントのような気がするが、今回のプロットだと、ここをはずしてしまうわけにもいかないので(後半の大事な伏線となる)、とりあえず、次に進む。

 さて、ゴッサムに帰ってきた「ぼっちゃま」ブルース・ウェインは、ここで断然輝きを放ちはじめる。ヒマラヤの山の中でひげとあかまみれの放浪者を演じていたクリスチャン・ベールは、一瞬、イーサン・ホークと間違う「感じのいい青年」なのだが、昼は高級ビジネス・スーツに、夜はブラック・タイに身を包むクリスは、『アメリカン・サイコ』で披露した成熟しきれないヤッピーぶりがぷんぷん。あの、にやっとした笑いがいいのですよね。

 さて、ティム・バートンが彼のお家芸としてバットマンの世界に持ち込んだのは、その特異なキャラクターたちだった。一度バットマンシリーズを見てしまった観客として、いくら監督がずいぶんスタイリッシュごのみに変わったとわかってはいても、ここは期待せずにはおれない部分である。これを、クリストファー・ノーランはどう処理したか?
 やってくれましたよ。見事な反転の新解釈。
 周囲にフリークスばかりを集めて独特の世界観を構築したティム・バートン版とは正反対に、クリストファー・ノーラン版では、バットマンの回りに、見事にハンサムばかりが集められている。アルフレッド役のマイケル・ケインだけは最初から悪役ではないことがわかっているが、リーアム・ニーソン、ゲイリー・オールドマン、キリアン・マーフィー、渡辺謙、モーガン・フリーマンととにかくいい男ぞろい。もちろん、誰もかぶりものなんかしていません(笑)ハンサムを並べることで、ノーランはまったく別の現実離れした世界観を作り上げたのである。この映画では、ハンサムほど黒幕ですから、なーんていっても、誰がいちばん黒幕かわからないぐらい、みんな整っている。こうしたガイズを見ているうちに、連中も、「顔の皮一枚」によって、一種の「ハンサム・キャラ」を演じているのではないか、そのうち、その皮が「びりっ」とはがれるのではないかと、映画を身ながら妙な想像に走ってしまって困った。

 さらに面白いのが、過去のバットマンシリーズでは、ヒロインがキム・ベイシンガー、ミシェル・ファイファー、ニコール・キッドマン(!)と常に金髪正統派いろっぺーねーちゃんだったのに対し、今度のヒロインは「隣のお姉さん」を絵に描いたような(でもトム・クルーズの新恋人)ケイティ・ホームズだということだ。これで、ヒロインはハンサムな男達から視点をそらす効果がなくなり(ごめんね、ケイティ)、ますます野郎歌舞伎的な世界ができあがる。
 ちなみにケイティ演じるヒロイン、レイチェルは、ゴッサムの犯罪撲滅に情熱を燃やす検事補、という知的な役どころで、そのあたりも過去のヒロイン達とは機能が違う。まあ、シリーズ一貫してMJを思い続ける『スパイダーマン』と違って、『バットマン』はラブ・ストーリーではない。が、今回のような、「ゴッサムの街浄化」という目的に一緒に働くバディでちょっとお姉さんな恋人、というのも、ブルース・ウェインにはお似合いな気もした。

 と、あれこれ書いてしまったが、『スターウォーズ』が、見る人を老若男女問わず「少年」にしてしまうように、『バットマン』は見る人を老若男女問わず「オタク」にしてしまうのだ。今回のプレス資料を見たら、カラー印刷された美しいパンフレットのほかに、ふつうのA4の普通紙に上から下までびっしり文字が印刷された資料が同封されていて、これがなんと37ページもあるのだ! これじゃあプレス資料じゃなくて、立派な論文だよ。

5月26日鑑賞
6月18日公開
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by ropponguimovie | 2005-05-30 23:39

『花と蛇2 パリ/静子』

 この投稿は、映画を見ての感想ではありません。前作の『花と蛇』は見ていますが、続編にあたるこの作品は見ていないのです。しかし、「どうして見に行かなかったのか?」ということに大事な理由があると思うので、書いておきます。

 高校生の頃かなあ。私は「何が間違っても、自分はAV女優だけは絶対にならない!」と思っていた。自分がモラルがあるからでも、AVじゃない女優になりたかったからでもありません。もっと情けなく、いじましい理由です。

 「もしAV界に入ったとしたら、当然そこでも競争がある。AVに出て、脱いで、それでも自分のハダカが売れなかったらさぞかしミジメだろう。もしも売上3番になっても、1番2番がいるうちは悔しくてたまらないだろう。1番になっても、後から若い子が出てきて追い抜かれたら悔しくてたまらないだろう。そういうわけで、AV女優になったらつらいことの方が多いから、AV女優にはならない」と、当時の私はまじめに思っていたのでした。
 他人にハダカを見せたりセックスを見せるつらさより、他人から評価されないつらさの方をリアルに感じていた私…ほんとにあの頃、「私はヘンだ」と気がついてつけるクスリがあったらねー。

 「花と蛇2」の企画が進んでいるという話を聞いて、でも、私はそのことを思い出してしまったのです。もしも女優に「1」と同じ美しさが保たれていたとしても、2番だしは1番だしより目新しくない分、価値が下がるもの。物語の展開はもう決まっているわけだし、そうすると、「1」以上の過激さで見せていくしかない。

 それでも、杉本彩は杉本彩。私とは違う(笑)。「2」ができたときいて、やっぱり気になります。見たいと思わせる、そこがすごいです(尊敬)。手帳に試写に行く予定も入れてありました。
 ただ、他の仕事が忙しくて、どうしても見る映画をしぼらなければいけなかったときに、「花と蛇2」はその選別を突破することはできなかったのです。杉本彩のハダカ(及びSMシーン)は、仕事の忙しさの前に負けてしまったのです。私が杉本彩っったら、この話を聞いてものすごくつらいんじゃないかと思いました。
 別に杉本彩が悪いんじゃないけど、やっぱり、ストーリーの面白い映画という点で選別したときに、『花と蛇2』は残らなかった。

 いくつか感想がWEB上に出始めていますが、映画の内容は、どうも私の予想したとおりであるようです。できたら、『3』はやらないでほしいなあ。『ガチンコ・ファイトクラブ』みたいに、あきらかに飽きられてから終わるのではなくて、今のうちに幕をひいてほしい。
 
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by ropponguimovie | 2005-05-18 22:16

『ライディング・ジャイアンツ』

 サーフィンなんかとは全く無縁の人生だったのに、私はサーフィン映画が大好きなのです。観れば観るほど、他のスポーツとは違う、彼らが感じている霊的体験に、私もはまっています。
 こういう聖なる体験と重なるスポーツといえば、後は「登山」ぐらいしかないのではないでしょうか。しかし、登山では、対象となる「山」が動かない。「波」は常に形を変え、それだけでカメラマン心をとらえる。そこがサーフィン映画のもう一つの魅力だと思います。

 この映画を観てレイアード・ハミルトンのファンになった、というのは、きっと、サーフィンファンから見れば、「ジョホールバルで中田英寿を知り、ファンになった」というふうに見えるかもしれないな。しかし、彼の美しさと、波に乗るために生まれてきたような数奇な運命には、ひきつけられずにはいられませんね。

 20世紀のサーフィンの歴史が網羅され、とくに60年代の彼らのハワイにおけるストイックな求道の道のりが描写されます。
 笑っちゃうのは、彼らがハリウッドのサーフィン映画にうんざりしていた理由を次のように述べたこと。
「波に乗る男達を、浜辺ではらはらしながら眺める女の子達の構図」。
 そうか、サーフィンは、松任谷由実の「ノーサイド」とは全然違う世界だったんだ(笑)。彼らの世界はむしろ禁女、禁セックス。波と一緒の聖なる体験のためには、むしろそれが必要だったんだと思えてきます。

 私は、自分のことを「意気地なし」だと思っていて、リスクをとって前に進める人のことをしばしば尊敬のまなざしで見てしまうのですが、レイアードはじめ、彼らはいう。恐怖は十分に感じていると。恐怖が大きすぎるから感じないようにしているのだと。
 なんだ、それでいいのか。いや、でも、それでも恐怖に向かっていくとういその矛盾。そこらあたりに、「求道」のエッセンスを見るような気がします。

5月16日鑑賞
7月 ヴァージン東宝シネマズ六本木他で公開
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by ropponguimovie | 2005-05-18 21:45

『0:34 レイジ34フン』

 イギリスの地下鉄を舞台にした、癒しっ気ゼロの恐いホラー。主演は『ボーン・スプレマシー』のフランカ・ポテンテ。

 この映画の恐さは『es』に似ているかもしれない、と思った(そういえば『es』の主演は『ラン・ローラ・ラン』でフランカ・ポテンテの恋人を演じたモーリッツ・ブライブトロイでしたね)。『es』と違って実験の映画ではないのですが、「朝までカギがかかってしまった地下鉄構内」という密室でひたすら逃げまくるしかない」という息苦しい構図が似ているのだと思います。
 もう一つ似ているのは、「人間が残酷になってしまうのに、理屈なんかない」というタイプのホラーだということ。というか、ホラーというのは、加害者の過去のトラウマがはっきりしている場合としていない場合の2種類に分かれると思います。この映画は、トラウマの片鱗のようなものは一応見せてくれるのですが、それが無差別殺人鬼に代わっていくプロセスというのは、あまり丁寧に描かれない。なんかもう、どうでもいいっからたたっころす、って感じ。
 『es』も、たしかに人間の残酷さを増す異常な状況が設定されるけど、それと、彼らが残酷になってしまう理由というのは、わかったようでわからない。そういうところが似ていると思いました。
 人間の残酷さと言うのは、結局、「ここを改善すればなくなる」とか説明がつけられない。そこが一番恐いなあと思います。

5月11日鑑賞
7月 アミューズCQN他で公開、以下全国順次公開

 
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by ropponguimovie | 2005-05-18 21:24

『バタフライ・エフェクト』

 『ジャスト・マリッジ』のアシュトン・カッチャーが脚本にほれこんで製作総指揮を務める、サスペンス…というか何と言うか、一種の「記憶もの」。
 全米1位となった他、韓国でも1位をとったのだが、日本ではなぜか全然盛り上がらず、試写室もガラガラだった。でも、観た人の評判はすごくいいようで、私も書かねばと思った。

 アシュトン演じる大学生のエヴァンには子どものときから記憶障害がある。彼はそれをたどり、自分と、子どものときの友人たちがみな不幸な過去を持っていることを知り、そこから彼らを救おうとする…という、ストーリーなのだが、すごく面白いと思ったのは、彼らを救った後の、決してハッピーエンドではない結末が、主人公エヴァンにとって一種の「解脱」となっていることだ。彼は、運命を変えるべく過去と戦ってきたが、「自分が運命に影響を与えられない人になる」という選択をすることによって、彼らを救い、しかもそれが彼をラクにしているように見えるのである(もう戦わなくてすむから)。なんのこっちゃ? という感じの解説だが、この映画は複雑さが妙。観てお楽しみください。

 ところで、ハリウッドに「セクシー」といわれる俳優はいくらでもいるが、服を脱いだときに「におい」まで感じさせるのはアシュトン・カッチャーぐらいではないだろうか。かいたばかりの汗の甘いにおい、というかね。この映画でも、そんな感想ばかり言語化されてしまって、なかなかちゃんとした感想がアップできなかったのでした。

5月14日公開
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by ropponguimovie | 2005-05-18 21:04

イギリス映画と「階級」について

 教材は『ブリジット・ジョーンズの日記』と『やさしくキスをして』(ケン・ローチ監督、2005年夏公開)です。

 先日、イギリスからの帰国子女の女性と話す機会がありました。彼女がいうには、
「私から見ると、ブリジット・ジョーンズって、うらやましいというと語弊があるけど、すごく贅沢な人に見えちゃうんですよ」
 ブリジット・ジョーンズと弁護士のマーク・ダーシーは、「幼なじみ」だということになっています。作品の中ではお互いの母親が編んだ熊ちゃんの柄(雪だるまだっけ?)のセーターなんか着せられたりして、お互いに恥じ入ったりしている。でも、彼女にいわせれば、幼なじみの中に弁護士になる男がいるっていうことが、そもそも中産階級の証だというんですね。
 日本だったら、あなたが、あるいはあなたの友達が弁護士と結婚すると言うのはありえないことではないけれど、イギリスでは、「弁護士の幼なじみがいる」コミュニティと「どこを探したって弁護士になる幼なじみなんかいない」コミュニティは、はっきり分かれている、と。

 それをわからせてくれるのが、ケン・ローチの映画、とりわけ新作の『やさしくキスをして』です。この作品は一種のロミオ&ジュリエットで、男性はインド系の家庭に育ち、婚約者も親によって決められているような家庭です。白人の女性と付き合えば親が泣く、お姉さんの婚約話が破談にされる、そうやって、がんじがらめになってしまう。
 しかし、一方、このインド系の男性と恋に落ちる白人女性は、カトリックだが夫とは別居中の身。地区の代用教員をつとめていて、正式教員に採用されるには、地域のカトリック司祭の推薦状が必要です。
 2人は地域の慣習や宗教にがんじがらめにされます。でも、この共同体の中に「弁護士になるような幼なじみ」が出てくることは、決してないのですよね。
 とっても狭い、もしかしたら狭くさせられた、出口をふさがれた世界の中で対立が起こっている。そう考えることは、この映画を何倍も痛ましくさせます。

 一方、ブリジットの痛ましさは、「弁護士の幼なじみがいる」ような社会階層に生まれてはみたが、その階層にはその階層で、「女性はこーあるべき!」と周囲から求められる強烈な思い込みがあり、その思い込みにまったくついていけないことにあります。
 私が思うに、その思い込みとは、「試行錯誤」いいかえれば「じたばた」が赦されないことだと思う。いつも、一発で決めなければいけない。
 女性解放は進んだかに見えるけれど、その実、「キャリアある才色兼備の女性」が、「よい主婦になれる才色兼備の女性」にとってかわっただけ。
 ブリジットの脂肪は、そんな女性達に課せられた狭い狭い枠から食み出す、いや、枠を壊して前に進むために必要なのかな、と思ってしまいます。
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by ropponguimovie | 2005-05-18 20:04 | 比較論やエッセイ

字幕ナシでビデオに挑戦

 GW中、今まで見たことのなかった旧作のビデオを4本、字幕ナシで見てみました。
 毎日のように洋画を見ているわけですが、仕事として見るとなると、どうしても「間違えちゃいかん!」という気持ちから字幕に頼りがちです。試写室で見る映画はヒアリングの足しにはあまりならないのです。
 その点、休み中のビデオ鑑賞は間違えてもいいので、リラックスして楽しめました。

『アメリカン・ジゴロ』
 以前から見たかった問題作ですが、六本木ヒルズの「アルマーニ展」を見たらいよいよ興味が高まって、レンタル。アルマーニの名を(そしてリチャード・ギアの名を)ハリウッドに知らしメタ作品といわれていますよね。
 ストーリーをまったく知らない状態で見ました。
 サスペンスのためか、「マーダー(殺人)」「ディテクティブ(刑事)」「ジュウル(宝石」」「アリバイ」などのキーになる英語がわかれば、そんなに難しくなくわかる作品でした。あと、主人公が身体で生きている人なので(!)、そんなに難しいことをいわない、というのもあります。
  リチャード・ギアが人妻あいてにジゴロの女殺しテクニックを発揮するシーンは、字幕ナシで断然たのしめました。「クロ~ジュアイ~ズ」なんてささやきは、字幕をおうより聴覚をフルにつかったほうが何倍もいいですよね。

『卒業白書』
 トム・クルーズのブレイク前夜作。
 彼がエッチな夢を見る導入部分のモノローグは簡単、両親と旅行や将来の進路について話し合うシーンもついていけましたが、高校のクラスメイトと話すシーンになると突然わかんなくなります。若者同士のカジュアルな会話は難しいです。
 そのあたりの、彼が危ない冒険にはまっていくあたりだけを日本語の字幕つきで見て、はまってからは字幕なしに戻しました。
 この映画は、主人公の行き着く先がわかっている映画なので、大枠がわかればそんなに難しくありませんでした。

『アメリカン・サイコ』
 殺人マシーンなボクチャンが次々人を殺していく映画なので大丈夫だろう、と思っていましたが、意外と難しかった。
 というのは、このボクチャンは、しょっちゅう似たような境遇のホワイト・ヤンエグたちとメンバーズ・クラブみたいなところに行ってくだらないおしゃべりに興じているわけですが、このおしゃべりがわからないのです。彼らのキャラクターをあらわす会話だと思って字幕をつけてみたのですが、「女は若いのがイチバン」とか本当にくだらないことをいっていて、そのおしゃべりに耳を傾けようとした自分がバカみたいに感じました(笑)。
 「俺の名刺より、彼の名刺の方がセンスがいい、くやしいから殺そう」とかね。うんやっぱり、セリフの理解が重要な映画でしたね。

『ガタカ』
 これは、ストーリーをだいたい知っていて見ました。
 主人公が「過去の自分」であるときは大丈夫でしたが、ジュード・ロウが出てきてからわかんなくなりました。ジュード・ロウの役に頼る役ですから。恋人役のユマ・サーマンとの会話も聞き取れませでした。結局、全体の2/3まで字幕つきで見て、字幕ナシに戻しました。
 最後の「今まで地球に居場所なんかないと思っていたのに、地球を去るときは寂しかった」というセリフは、ちょっとぐっときました。

 全体的に思ったのは、字幕を見ていると、英語という言語だけでなく、映画全体を包む「ノイズ」みたいなものを聞き逃すすということです。
 「日本語の音は四角く、英語の音は丸い」といわれます。日本語はすべての子音に母音がつくため、きくと「かくかく」して感じ、英語はただでさえ少ない母音をさらに省略していくので、なめらかに丸く感じる。
 その、なめらかな丸い空気が、字幕をはずすと聞き取れてきて、そのなめらかさが聞き取れるから言語も聞き取れてくる、そういう感じがしました。
 で、そのなめらさかさには、DVDを10分ぐらい見ているとすぐなれるので、あまり心配しなくても、行くところにいけば英語って身体からわかるようになるかも、と、ちょっと楽天的になりました。
 次にこれができるのは夏休みかな? またやってみようと思います。
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by ropponguimovie | 2005-05-12 19:38 | 比較論やエッセイ