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『SAYURI』(問題作◆)

 試写鑑賞後、めずらしく、ハリウッド大予算ムーヴィーの記者会見に行っちゃった。ロブ・マーシャル監督を見たかったし(「会いたかった」という表現は使えないだろう)ぜひ質問したかったのだ。

 いちばん聞きたかったのは「水揚げ」のこと。映画の中でマーシャルはさゆりに(第二次大戦後進駐してきた大佐に向かって)「儀式は生活を楽しむコツである。儀式が生活にめりはりを与える。(ゲイシャの仕事はその儀式を人々に供給することである)」ということをいっていて、これは、日本人である私にもわからなかった「日本とは何か」の言語化だった。なるほど、いいこといわせるなと思った。

 様式化されたゲイシャの美の中で、もっとも儀式化されたのが「水揚げ」である。ゲイシャの初めての夜。性愛の儀式。この相手になる男は、経済力はもちろん、慎重に選ばれる。
「水揚げ」の語源は、切花の茎を切って水の上がりをよくすること、つまりその花を花として開かせるため、「何か(気?)」を通すことである。今花開こうとするつぼみ(関東では半玉、京都では舞妓)に気を通して、女として開かせる儀式を「水揚げ」と呼ぶのである。なんとエロティックで的を射た隠語かと思うが、それが儀式であり、花開かせるためにはそれなりに強い「気」をもった男とするのが、一般の売春(「女郎」)とは違うところなのである。
 マーシャルは記者会見で、「ゲイシャは単なるプロスティテュート(売春婦)ではなく、まさにゲイを売る女性たち、アーティストであるということが世界中にわかってもらえたと思う」とは言っていた。でも、そのわりに、「水揚げ」そのもののシーンはやけにあっさりしたものだった。
 (水揚げにいたるまでのさゆりをめぐる女と男たちのさやあてはかなり詳しく描かれるのだが)。

 同時に、さゆりは、初恋の人である「会長」(渡辺謙)にずっと思いを寄せている、というのがこの映画の大プロットであるわけで、そのわりに、水揚げをあっさり受け入れすぎではないかね? やはりそこには大きな葛藤があると思うのだが。なんであんなにあっさりしちゃったんでしょう? そのへんの監督の演出意図をお伺いしたいと思いますが?

 聞きたくありませんか? この答え。でも、今回はあててもらえなかった。「女優さんたち皆さんの秘めた恋についての思い出」とかの質問はやけに長かったのにさ。フォトセッションその他で2時間も待機する、長い長い記者会見だったのに・・・ちぇっ。

 今書いていて一つ自分で答えを見つけた。「さゆりは水の女」というのが今回のテーマである。コン・リー演じる初桃は火の女だし、ミシェル・ヨー演じる豆葉は土の女かな? さゆりは水になることによって、セックスに対してさえ、本当にあるべきゲイシャのすがた、完全に「芸神的存在」としての達観を得たのかもしれない。
 うーん、最初、性愛のシーンがお粗末なのは「やっぱりスピルバーグ映画だからなー」とか思ってて(ブエナ・ビスタ=ディズニーだし)、ボブ・マーシャルもやはりスピルバーグ御大の方針には逆らえなかったのかな、なーんて思ってたの。でも、これ、ボブの計算ずくの演出かもしれない。よく解釈すればですけど。

 セックスをめぐって傷つかない存在になるためには、セックスと人格が完全に切り離されていることが大切である。たとえセックスが自分のコントロール化に置けなかったとしても、私自身が穢れるわけではない。そういう確信が必要である。たぶん、そのとき、女性は昔から宗教がめざしてきた「巫女」になるのだと思う。メソポタミア文明なんかでも、「女神イシュタルの巫女と性愛を交わす」っていうの、ありますよね。
 でもね、そんなこと、現実にできますか? ムリ。本当に菩薩にならないと。そんな人、そんなに簡単にいるわけないじゃないですか。
 ゲイシャというのは、幸にも不幸にも、そうなる機会を与えられた女たちである。これが物語におけるゲームの第一歩。次々に挫折していく女達。また、さゆり自身も常に激しい葛藤に苦しむ。しかし、さゆりは持ち前の「水」の力によって、その道を歩んでいく…。

 としたら、この映画のラスト、とても変だ。そうなってはいけない終わり方なのだ。
 祇園の芸妓は子どもは生める。でも結婚はしない。子どもは母の子。母系の子。まるでマリアの処女懐胎のように子どもは生まれ、「祇園の子」として大切に育てられるのだ。
 このあたりに、私は実は女性が舞妓さん、芸妓さんに憧れる理由がある気がする。性的自己決定権を手放すことによって、かえって誰かの所有物ではなくなる。誰か自分で決めようとすると、「ひとりの夫のもの」という穴にはまる。これは、女の知恵というか、大どんでん返しである。
 でも、結局西洋の映画は、その「誰のものでもない=巫女的存在」であることをさゆりにゆるさない。その芸域に達して初めてはじめて「真のアーティスト」といえるのに。

 モデルである日本人のもと芸者、ミネコ・イワサキは、原作がベストセラーになった01年、原作者のアーサー・ゴールデンに賠償金を求めて告訴した。「身元を明かさない」という約束を破られた上、水揚げ料の額を暴露されたことが、慎み深さが重視される芸者の世界での名誉を傷つけられた、というのが主張だそうだが、イワサキの怒りは、結局、「聖なる性のひさぎ手」である芸者が、人間の男なんかに恋をしたと書かれたのが許せなかったのではないだろうか。

 女優に日本人が起用されなかったことであれこれ意見がかまびすしいが、「世界的視野でキャストを選んだ」という言葉を信じるなら、すばらしい日本の男性が「世界的視野」をクリアして選ばれたことを誇ってもいいのではないだろうか。記者会見壇上に並んだ渡辺謙と役所広司、ふたり並ぶとほんとにセクシーだったもの。「日本の中年男が全員渡辺謙と役所広司だったら、日本はずいぶん平和になるだろーなー」と思っちゃいましたね。美しかった。
 女優では、ミシェル・ヨー、映画の中でも、記者会見でも、とてもいい人で大好きになっちゃった。「私はモダン・ウーマン」だということを、はっきりいっていた。
 しかし、この映画でいちばんすごい俳優は、さゆりの子ども時代を演じた大後寿々花でしょう。なにしろ映画の三分の1彼女が主役なんですから。ロブ・マーシャルも「前半三分の1を演じてしかもそのあいだに観客にさゆりを好きにさせなければいけない。いちばん大変な役だった。キャスティングも一番難航した」といってました。
 『北の零年』で自分の娘役を演じたことから渡辺謙がロブに推薦して話が決まるんですが、英語もまったく話せなかった(ふつうの小学生なのでアルファベットも知らなかった)のに、まったくたいしたものです。

(追記1:主演に中国人のチャン・ツィーが選ばれたことについて)
 実はこのキャストのキモは「ダンス」だったと思っている。ニューズウィーク日本版によれば、チャン・ツィーに決まるまでの日本人の候補というのも、日本人在住のダンサーだったそうだ。容貌と演技力以上に、この映画でダンスは重要なのである。「芸者=アーティスト」なのだからね。
 で、結局ダンスの見せ場は「日本舞踊」とはいえないものに改変されてしまっているのだが、むしろ、付け焼刃の日本舞踊では絶対無理という判断ではないだろうか。
 バレエ学校出身で、『LOVERS』では演技よりその身体能力の高さで見る人を絶句させたチャン・ツィーは、日本舞踊のシーンでかなり頑張っていると思うけど、それでもちょっと決まらない。しかし、日本舞踊というのは、本当に難しいのである。もし日本から誰か押すとしたら、日舞をちゃんとやって演技もできる、という選考基準だと、歌舞伎の家出身の女優ぐらいになってしまうのではないっだろうか。(…とすると、寺島しのぶか? あ、松たか子がいた!)
 ロブ・マーシャルはもしかしたらドラマ以上にダンスにこだわりがあるだろうし、まあこうなるのは仕方ないのかなあ。ダンスの「きめ」のシーンでのチャン・ツィーの背中のしなりは、それはそれで見事だったのでした。

(追記2:芸者とは何か? について)
 「芸者はプロスティテュートでなく、アーティストである」って、敬意をはらってるようで実は変な気がする。それは、プロスティテュートを、「レイプされても金もらって笑ってる人間以下のもの」と、白人マッチョ文化の定義から始まるものでしょ。「至高の、神にも届くセックス」への憧れがない人がいますかね? 芸者はあれこれ人権を無視しながらも(それは事実)、そのことにまじめに取り組んできたシステムである(きっとそれは「SASUKE」みたいなものなのだ。第2ステージクリアぐらいの芸者はそれなりにいるのだろうが、至高のゴールに到達した者がいるかどうか。)
 いずれにせよ、セックス自体に罪の意識が意外と強いハリウッド映画は、その領域に踏み込むことは、きっと永遠にできない。だからこの映画は中途半端なんだと思う。ポランスキーあたりが作ればよかったんじゃないの?

(追記3 衣装について)
 着物が変だ、という話はどうせあちこちで書かれるだろうからまあいいでしょう。今、写真で確認したら、女性の着物が全部「棒襟」なんですが、今の日本人だって「棒襟」が何かわかんない人は少なくないだろうしね(私は和服の仕立てでお小遣いを稼いでいたことがあります)
 実は、私が一番フィクショナイズされてると思った着物は、さゆりが芸妓を目指す前の下地っ子だったときの着物。これは「質素」な着物のつもりなんでしょうが、日本の当時の貧乏な人はもっとすすけた着物を着ていただろうと思う。わざと男ものの着物を女ものに直したようなこの着物は、ちょーモダンに見えるのだ。なんつーか、アルマーニの逆輸入版みたい。あれ、すごくいい。気に入りました。
 そういえば、「キル・ビル」のルーシー・リュ―が着てた着物も、絶対着物がわかってる人が作ったという感じの色あわせで、ありえねーけど、美しかったね。

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by ropponguimovie | 2005-11-29 13:34

『RIZE (ライズ)』★◆

 ロス暴動の起きた地区であり、「全米で最も危険」と言われる地区、LA、サウス・セントラルに住む(出られない)黒人たちから生まれたダンスをおったドキュメンタリー。87分だが、非常に強い印象を残す。

 「踊らなければ、どうなっていたかわからなかった」。そういう若者たちが多数登場する。彼らを引っ張るのは「トミー・ザ・クラウン」で、彼は、クラウン(ピエロ)の格好をして子ども達のパーティを回り、子ども達を凶悪化への道から救ってきた。

 彼らから繰り出されるダンスの身体能力の高さには驚かされるばかりだ。そして、彼らが独自に振付けたその踊りは、今もアフリカで彼らの遠い親戚によって行われている踊りと酷似している。そして、彼らはまったくそのことを知らなかったのだという。時代のカリスマ的フォトグラファー(本作で監督デビュー)デヴィッド・ラシャぺルのアイディアで、両方の映像がフラッシュバックのようにさしはさまれていく演出を見た彼らの中には、「これを見て、自分のアイデンティティに自信がもてた」という子もいて、ラシャぺル監督を喜ばせたそうだ。

 ちょっと話がそれるが、泣いている赤ちゃんの、骨盤をさすると泣きやむんだそうです。それは、人間の骨盤あたりに快楽ホルモンが出る場所があるからだそうだ。人間が性愛のときに腰を動かすのも、実は人間は性器で感じているのではなく、腰の動きにより、快楽ホルモンが出ることで快感を得ている、という説があるらしい。
 この映画の中で、彼らは非常に激しく腰を振るのだが、それはその動きによって快感を得ているのではないか。そして、それほど激しく腰を動かして快感を得でもしなければ、生きていくことに希望を見出す(=生きていく恐怖、絶望から解放される)ことができないのではないか、などと考えてしまった。
 
 現在、アメリカの人口はアフリカ系12パーセント、ヒスパニック13パーセントで、ヒスパニックが黒人を逆転している。また、7パーセントのアジア系も増え続けている。しかしここでは、古く、つまり人権問題がきちんと整備されていないときにここに連れてこられてしまったががゆえに、貧困と暴力が世代間連鎖を続けてしまっている、さらに深刻なアフリカ系の実体をきちんと見たきた。

 10人以上のアメリカ人の知己がいるが、彼らのうち、ヨーロッパ系(いわゆる「白人」)の人は、ほとんどが三世、二世も少なくないことに私は驚かされている。(「旅するジーンズと16歳の夏」でも女の子のひとりの祖父母がまだギリシャに住んでいましたね)。黒い肌の持ち主は(ヒスパニック圏から来た人は除いて)南北戦争以前に歴史をさかのぼれるわけだから、アメリカ合衆国では白人より黒人のほうがずっと歴史が古い人たちになりつつあるのだ。
 ところが、その二世、三世の白人の人たちは全員高等教育を受け、地位の高い仕事についている。彼らの両親、祖父母だって、そんなにいい経済状態でアメリカに来たわけではないだろうに、彼らの社会的地位はあっというまに、南北戦争以前からアメリカにいる人たちを追い抜いてしまっている。

 「自由競争経済の拡大」は、「意欲の不平等化」だと私は思っている。勝ち組が独占していくのは、経済的成功だけではなく、実は「意欲のもてる仕事」「創意工夫ができる楽しい仕事」なのである(悪い結果として、「意欲中毒、創意工夫中毒」にはまってしまい、金持ちはますます働く、という構図もできているのだが)。
 対して、階層が下であるほど、「頭を使わない仕事」「工場のコマのような仕事」を求められる。仕事を達成しても、誰もほめてくれない、人間の感情が切り捨てられた現場にいさせられる。だから続かないし、考えなくなる。ますます頭を使わない仕事しかできなくなる。仕事に喜びが見出せないので、ますます働きたくなくなる。貧富の格差だけでなく、意欲の格差がますます拡大するのだ。

2006年正月第2弾 シネマライズ他全国ロードショー
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by ropponguimovie | 2005-11-29 12:10

2005年11月2、3、4週に見た映画

★はおすすめ印
◆は誰にでも勧めるというのではないが、個人的には問題作だと思っている印
□は、すごく期待していたのに、裏切られた~(怒)という印

『博士の愛した数式』★
 感想はこちら。TBもそちらへお願いします。

『僕と未来とブエノスアイレス』

『ブラック・キス』◆
 手塚眞監督最新作によるホラー。
 妙にハーフの多い映画だった…。

『ルー・サロメ』★◆
 完全にやられてしまった。感想はこちら。TBもこちらにお願いします

『ウォ・アイ・ニー』
 感想はこちら。TBもこちらにお願いします
 2006年3月 東京都写真美術館にて公開

『CRASH クラッシュ』★◆
 感想はこちら。TBもそちらにお願いします
 2006年2月 シャンテシネ 新宿武蔵野館他にて公開

『スパングリッシュ』★◆
 いいっす。(感想先送り)

『RIZE ライズ』★◆
 ロス暴動が起きた地区、LAサウスセントラルを舞台にしたダンス・ドキュメンタリー。詳しい感想はこちら。TBもそちらにお願いします
 2006年正月第2弾 シネマライズ他 全国順次公開

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by ropponguimovie | 2005-11-29 11:25

『ウォ・アイ・ニー』

 中国第六世代、チャン・ユアン監督作品。男と女の人間関係にリアルによった「超個人的映画」が中国映画で作られたのは画期的だと思うが、個人的にはリアルすぎて俗っぽくなってしまった印象。

06年3月 東京都写真美術館ホールにて公開

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by ropponguimovie | 2005-11-29 11:09

『CRASH クラッシュ』★★

『ミリオンダラー・ベイビー』で脚本を書いたポール・ハギス(カナダ人)による初監督作。年末に突然飛び込んできた今年のベスト1。っていうか、生涯のベスト3には入ってきている予感。

 交通事故をきっかけに連鎖反応を起こす、さまざまな人々の運命…という説明じゃほとんどわからないこの映画の良さ。そろそろ映画に「アカデミー賞、最有力!」という宣伝が踊る季節ですが、あまり賞に興味がない私でも、「これはとるかもしれないな」いや「とってほしいな」と思わされた作品。

 人種差別がテーマだが、弱者が強者を告発するという映画ではなく、群像劇としてすべての人間の弱さ、よさ、面白さを描き出している。そういう私は好きだ。そして、いくつものストーリーがが複雑にからみあっている、物語の構築力にもなみなみならぬものを感じる。

 個人的に好きだったのは、マット・ディロンとブレンダン・フレイザー。ブレンダン・フレイザーは、『愛の落日』でも思ったけど、けっこう作品選んでますねー。

2006年正月第2弾(たぶん2月)シャンテシネ、新宿武蔵野館他で全国公開

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by ropponguimovie | 2005-11-29 11:08

『ホテル・ルワンダ』★◆

 ついに公開決定。1月6日には、モデルとなったポール・ルセサバギナ氏を迎えて、公開試写会とシンポジウム『今、アフリカで何がおこっているか』も行われるそうです。

 見ながら思ってしまった。「国連平和維持活動軍は必要だ」。「日本は侵略される前に列強の仲間入りをしておいてよかった」。つまり、それだけ命が惜しくなってしまったということです。こんなことで殺されたんじゃ、たまらん。そういう状況をこの映画はガンガンついてくる。

 いろいろな「甘い常識」が覆される。たとえば、「自然のなかでは、人は癒される」といったキャッチ・コピー。でもここでは、コンピュータもインターネットもビデオ・ゲームも携帯電話もないのに、やっぱり「命の大切さ」なんてお題目がふっとばされる。「戦争の大義」。でもここでは、「自由と民主を」といった、戦争の大義を作るだけ、ブッシュはましな気がしてくる。「ニクイ、ゴキブリは殺せ。ゴキブリのツチ族は殺せ」。それだけ。で、10日間で100万人。

(注・友だちにこの話をしたら、でも、あんなふうに直線で国境線をひいちゃったりしたら、その時点で「アフリカの自然」というのは壊されているんじゃないの? といわれた。あれのおかげで磁場みたいなものが壊れてしまっているんじゃないかと。するどい指摘だ)

 ポール・ルセサバギナ氏の「特殊性」が物語の奇跡である。彼は、ベルギー・サベナ航空が経営するホテル・ディプロマトの総支配人であったわけだが、ベルギー系の企業でルワンダ人がここまで出世した例はないという。
 このへんは映画としてのフィクションであったのかもしれないが、最初、彼は、家族を守るために名誉白人であろうとした。「何かあったとき自分と家族を見逃してもらうため」軍上層部などへの賄賂もぬかりなかった。しかし、アフリカ人だという理由で、彼らが国連から見捨てられたとき、彼の何かが変わる。

 上記の友人は、この1年、イタリアに留学して、イタリア人の陽気さ、ラテン気質をたっぷり吸収して帰って来た。この映画にはイタリアは直接かんではいないが、チョコレートと精密機械の国ベルギー、自由と芸術の国フランス…といったような国々が、当然のようにアフリカを支配していた後遺症が、このようにアフリカを今も苦しめている。(フランスはでも移民や難民をちゃんと受け入れているから暴動が起こるんですけどね。それすら受け入れない日本を「問題がない」とするのは間違いである)今回フランスで起きた暴動事件は、ルワンダの先にあったものといえるかもしれない…あー、なんか、無責任な他人事書いてる。もっと、がつんとしめたい何かが必要だ。自分と直結する何かが。でも、うまく思い浮かばない。

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by ropponguimovie | 2005-11-18 02:02

『ルー・サロメ 善悪の彼岸』ノーカット版 ◆

 『愛の嵐』の監督って女だったのね…(不勉強)。そのリリアーナ・カヴェーニ監督(1933年生まれ。現在はオペラ演出家としても活動)が、『愛の嵐』(1974)の3年後(1977)に撮った実在の人物、ルー・サロメをモデルに撮った作品。日本初公開は1985年。今回は、無修正にくわえ、英語版でも下着を着ていたシーンなどが全裸に変更されている。

 うーん、お見事。面白すぎました。ルー・サロメはロシア生まれ。ペテルブルグで哲学を学んだ後若いときから西欧に出、一流の知識人と交流し、数多くの著作をものす。男との知的交流の歴史=男からの求婚の歴史。「結婚は精神の牢獄」と断り続けるも、数学者カール・アンドレアスに「結婚してくれなければ腹を切る」と本当に腹を目の前で切られ、結婚。しかし夫との同衾は拒み、自分の人生を突き進むが。
 本作は、なかでも、「聖なる三位一体愛」のパートナーであったニーチェ、パウル・レーとの関係を中心に描く。ほかにも、マーラー、リルケなどいろいろ出てくる。

 何がすごいって、ルー・サロメの自己統制のききっぷり。伝統的な生き方に反旗をひるがえし、ふたりの男を愛したりすると、かならずその女の中の罪の意識が無意識のうちに彼女を苦しめ、最後は破滅にひっぱられてしまう、というのが定石なのだが、(『トリコロールに燃えて』『ノーマ・ジーンとマリリン』など)ルーはまったくそんなことがない。自分の道を突っ走り、全然ぶれない。かわりに、周りの男たちが次々壊れていく。でも、本人はまったく無傷なのだ。精神を病んでしまうニーチェ、アンドレアとの結婚に絶望し、場末の酒場で飲んだくれているところを、労働者達のリンチを受けて殺されてしまうパウル・レー。「ハラキリ」を知っていたのか知らずか、包丁で自分の腹をかっさばくアンドレア。それでも、彼女は男たちの屍を乗り越えて、前に進んでしまう。

 ファック・「行過ぎたジェンダーフリー」。そんな道徳主義者を、この作品は鼻でせせら笑う。それどころか、ジェンダー・フリー嫌いの例えば石原慎太郎なんかを、この作品は絶対に酔わせてしまう強さをもっている。それぐらい、ルーが殺人鬼的に魅力的なのだ。本当のラディカル・フェミニズムというのは、もはや悪魔的であり、だからこそ右翼の耽美派とも似てくるのである。ああ、三島もこの作品、好きだろうな。
 精神を病んだニーチェの頭の中が具現化される、全裸の男ふたりによる、バレエのシークエンスなんかもすごかった(えんえん5分ぐらいあったと思う)。あんな絵柄撮れる人、撮ろうと思いつく人、もう誰もいない。今のフェミ監督たち、ずいぶん去勢されちゃったものだ。

 現代の目から見ると、ルー・サロメが決して色っぽくないのも新鮮だ。『トリコロールに燃えて』のシャーリーズ・セロンなんかの方が、よっぽどコビコビしていたのに対し、ドミニク・サンダは顔立ちはもちろんととのっているものの、化粧っけもあまりない(『ピアノ・レッスン』のホリー・ハンターのような感じ)。つーか、ほとんど笑わない(ファム・ファタールなのに!) いつも本を書いているようなこむずかしい顔をしていると、男がどんどん寄ってくる。なんか、上野千鶴子さんを思い出しちゃった。上野さんって、絶対男にもてるだろうと私は思うのだが(実際会うと、まぶしいぐらいのオーラが出ている)、やせていて、笑わなくて、そして着ているものはものすごく凝っている。哲学女のエロス。

 映画見て、思いました。「女が完璧主義で、どこが悪い!」知でもいけるところまでいって、美でも、恋でもエロスでも、いけるところまでいって、何が悪いのでしょう。私も頑張ろうと思いました。きっぱり。

2月下旬 新宿K’s cinema他にて全国公開

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by ropponguimovie | 2005-11-18 01:29

『博士の愛した数式』★

 『雨あがる』『阿弥陀堂だより』の小泉堯史監督最新作。原作は小川洋子のベストセラー。小泉監督、絶好調だ。「日本が世界に誇れる監督」といった、私は文句なしにこの人。

 誇れる理由「日本の良さ」=秩序の美しさでなく、自然の美しさ。→アニミズムを感じさせる自然描写。そういう意味では宮崎駿監督にも匹敵(トトロ的?)。小泉監督の作品は、ストーリー的にはまったく違うが、この綿密な自然描写は常に共通。

 小川洋子、今まで細部の描写にひかれながらも、おおまかなストーリーにはいつもイマイチ乗り切れなかったが、この構築はすばらしい。太陽のような女と月のような女。命を産み落とした女と殺した女。愛することがめぐみだった女と愛することが罪だった女の対象劇。槇村さとるの『おいしい関係』に類似(百恵と加奈子の関係)。

2006年新春第2弾公開。

(追記)
 同じ数学がテーマだが、数学、という点をとってみれば、同時期公開の『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』より、こっちのほうがずっとよい。あちらは、実は、数式そのものの描写が全然ないため、肝心の、父と娘が命をかけるほどだった「数学の美しさ」が全然伝わってこないのだ。しかし、『博士~』を見たら、かなりの文系人間でも、数学の神秘的な力や芸術性が伝わってくるはず。ちょうど、料理の映画なのに、一方は料理が心からおいしそうに描かれ、もう一方は、「うちは料理、本当は苦手だから」と避けて描いているような対比がある。しかも数式は料理と違って直接カメラで追えるものではないのに、映画としてきちんと描けている点がすばらしい。
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by ropponguimovie | 2005-11-11 00:47

『オリバー・ツイスト』★◆

 ロマン・ポランスキーが製作費80億円をかけて作った(ヨーロッパでは最大だろう)最新作。チャールズ・ディケンズの小説の映画化。オリバー役に11歳で監督の心をつかんだ主演のバーニー・クラーク、「文学史上もっとも物議をかもした悪役」フェイギンにベン・キングズレー。この二人と、オリバーの兄貴分ドジャーを演じた当時14歳のハリー・イーデンの演技が圧巻。

 原作のある話なのでややネタばれになるが、最後にオリバーがフェイギンにいう、「一緒に神に祈りましょう。赦しを請いましょう」というセリフは、原作にもあるのだろうか?
 この作品はポランスキーが「子どもたちのために撮りたい」といって作った作品だが、そういう作品の中に、キリスト教倫理が強くもちこまれた作品が目立つのだ。11月公開のダニー・ボイル監督の『ミリオンズ』とか、1月公開の『リトル・ランナー』とかね。

 しかしこの作品では、「おいおいまたか」という感じはしなかった。オリバーという少年は現実には絶対ありえない、むしろ漫画的なまでに純粋無垢な少年なのだが、こうした少年の造形は、今、私たちが本当に見たい、「神に近い存在」「私たちを神につないでくれる存在」の具現化だと思う。そういう存在って、今、宗教、宗派を超えて必要な存在だと思うのだ。
 だいたい、ポランスキーってキリスト教徒じゃないよね?

2006年正月第2弾公開
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by ropponguimovie | 2005-11-08 00:29

『プライドと偏見』★◆

 話題作の予感で見に行ったキーラ・ナイトレイの最新作だが、大問題作で面白かった。原作は(見よう見ようと思っていない作品である)『エマ』の原作者でもあるジェーン・オースティン。1775年生まれ、1817年没の女性作家で、彼女が21歳のときの作品である。今ちょっと気になって(『オリバー・ツイスト』の評を書こう書こうと思ってのびのびになっている)チャールズ・ディケンズの生没年を調べたら1812~1870 年、なので、彼より古い。『若草物語』のルイザ・メイ・オルコットが1832-1888 なので、彼女よりも古い。(参考、ウィリアム・シェークスピアの生没年は1564-1616)。
 …とすると、彼女の作品はシェークスピアによって確立されたエンタテインメントを踏襲しつつ、(男と女のさやあて物語であることは間違いない)ディケンズ以下近代の物語に不可欠な「リアリティある物語の中で霊的成長をとげていく」姿が描かれ、さらに、女性に相続権がなかった当時の家族制度をしっかり風刺もしている。うーむ、注目すべき作家である。

 「姉妹の物語はすべからく4姉妹だ」といっちゃった後にすぐ出てきた5姉妹の物語なのだが、スポットは上の娘二人に強くあたっているので、実は「姉と妹」の物語といってもいいかもしれない。そして、妹であるところの次女をキーラ・ナイトレイが演じているが、勝気で一家の家長的役割を演じているのは、「若草物語』のジョーそっくり。そして、髪をブルネットにしたキーラ・ナイトレイが、『若草物語』でジョーを演じた頃の、あのみずみずしかったウィノナ・ライダーにそっくりなのだ! 家の中で男であろうとして戦う女は美しい。ウィノナやキーラはその道を歩んでいる。ウィノナはこけたけど(私はファンです)。

 追記…TBしてくださった方の投稿に、「ブリジット・ジョーンズはこの作品が下敷き」と書いてありました。へーなるほど。ブリジットは家のために戦ってないけど、嫁入り先をしきりたがるお母さんが似てるかも。

2006年1月14日、有楽座ほか東宝洋画系にて公開
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by ropponguimovie | 2005-11-08 00:09