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『ダ・ヴィンチ・コード』★◆(5.20公開)

 「映画を見る前に原作を読んでおいたほうがいい」評がもっぱらで、私もこれには同意する。ただ、問題作であるゆえんは、映画だけでもじゅうぶんにわかる。その部分が見えてきたとき、映画『マトリックス』が見たくて見たくてたまらなくなった。

 最近、mixi内をうろついているうちに、本田健さんなどの成功法則に影響を受けている人たちのあいだで、映画『マトリックス』が熱狂的に支持されているという事実を知った。彼らにとって『マトリックス』は、求道の解説をした非常に実用的な映画として見られているようである。それは私にもわかる。「できようと思うな、できると知れ」「There is no spoon.」などのセリフは、私も好きだ。

 だけど、私に言わせれば、『マトリックス』をそのまま現実に持ち込もうとしている人たちって、「少年」すぎる。彼らの解釈に従っていくと、『マトリックス』には非常に都合の悪い箇所があって、その箇所は黙殺されてしまっている。そこを含めて実用化しようとしている人って、私はまだ見たことがない。

 その「非常に都合の悪い箇所」というのは、トリニティの存在である。彼らの論理に従っていくと「トリニティが愛した女は、救世主であると同時に、死が運命付けられる」という運命がすっぽり抜け落ちてしまう。あれをいったいどう解釈するつもりなのだろう? 彼らは、あの予言をどう生きるつもりなのだろう? 
 なんか、マトリックスを教科書にしている少年達には、もうちょっと萌え~な(童顔で従順な)ヒロインが似合う気がする。トリニティはもちろん、そういう女ではない。そうそう、トリニティってだからといってセクシーさ全開ってわけでもないし、本当異質なキャラクターである。

 しかし、『ダ・ヴィンチ・コード』で取上げられているマグダラのマリアを『マトリックス』のトリニティに重ねると、これが見事に重なるのだ。彼女が愛した男が、救世主の運命と、死の運命を担う。
 マグダラのマリアの死も、トリニティの死も、実に浮かばれないひっそりとした死。
 まあ、トリニティは妊娠も子を産むこともしませんでしたが…。

 『マトリックス』が神話の構造に忠実であるとしたら、マグダラのマリアがキリストの妻であったという関係の方が神話の構造構造に忠実ということになるかもしれない。いや、マグダラのマリアが娼婦だったか妻だったかは、結局どっちでもいいのだ。性的存在であれば。まあ両方とも大差ないというか。
 そして、トリニティやマグダラのマリアが最後にひっそりと死に、その子孫を未来につなげる、というのは、まさに「役割」なのだと思う。これは、「社会から期待されている役割(まさにジェンダー)」ともいえるし、ユングの原型に近いというか、「その役割を演じると世界がスムーズに流れる」ということでもある。

 フェミニストはしばしば「魔女」扱いされる。フェミ自身も、自らを「魔女」と名乗るのが好きだ。これは、フェミニストというのは、上みたいな神話の構造に気が付いてしまう女だからなのだろう、と、この映画を見てわかってしまった。ゲイ説もあるダ・ヴィンチの、それこそがまさに暗号? だったらできすぎですけどね。でも、面白いですね、この説。
 世界をうまく回らせるために、たいていの女というのは、ひっそり死ぬというミッションを遂行する。ところが、フェミは、うまく死ねない。それどころか、この、まさに「秘伝」を言語化し、世の中に言いふらして歩こうとする。「救世主」になりたい男の恨みを買うのは当然ではありませんか。
 おまけに、この救世主は魔女から愛されないと救世主になれないという二重構造が存在していて、だから救世主候補は魔女が怖いし、そんな怖い魔女なら殺してしまえ、俺は魔女に愛されなくても救世主になってやる、と。そういう一派が現れても不思議ではない。むりなんですけどね。

 反対に、妻にした女に死の接吻をされる運命を受け入れた男は救世主にもなれるし、もしかしたら「成功夫婦」というものにもまれるのかもしれません。

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by ropponguimovie | 2006-05-18 23:59

ふたたびごめんなさい

 また一ヶ月放置してしまいました。
 やっと少し落ち着いてきたので、また少しずつ投稿していきます。
 これからは、公開時期に合わせてアップするなど、見やすく工夫していきます。

 おかげさまで、私のもう一つのブログがとても盛り上がっています。
 よかったら、そちらも遊びにきてください。

 ISL・六本木だより

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by ropponguimovie | 2006-05-09 13:02 | 比較論やエッセイ