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『イノセント』

10月17日より、テアトルタイムスクエアにて、ヴィスコンティ生誕100周年祭が行われます。作品は「ルードヴィヒ』『山猫』『イノセント』の三作。そのうち、彼の遺作となった『イノセント』を試写で見ました。

 ヴィスコンティ作品の感想というよりは、自己観察の感想ということになってしまうかもしれません。というのは、今までで一番面白いと思いましたが、それは、彼の作品がどうこうというより、自分が変わったなー、もっと核心をつけば、「私も年取ったなー」と思ったからです。年々、じわじわ面白くなるんですよね、彼の作品は。そして、自分がそういうふうに変わっていくとは、思わなかったのです。

 その面白かった部分というと、「無駄」でしょうか。あるいは「装飾」。私って若い頃はさもしいヤツだったのかな? まあ、貴族の前では誰でもみなさもしい存在なのかもしれませんが。美しい俳優達も、家具も、調度品も、登場人物たちがもつ葛藤さえも、無駄であり装飾的であるように見えていました。
 しかし、年をとってくると、それってつまり「人間的」(=自然的存在の反対としての)ってことなのねってことが次第にわかってくる。例えば、豊かになり、目標を達成しても心の平安が簡単にやってくるわけではないということとか。彼が描く「美」というのは単純な自然の美しさではなくて、人間の複雑な葛藤の投影された形であるとか。あまりその複雑さを怖れていると、近づくことすらできないとか。若いときはずっとそうだった。ヴィスコンティは30過ぎ手から、映画評論講座の課題でなければ見なかったでしょう。

 この主人公、トゥリオも、美しい貴族で実に何でももっているのに、妻の不義から生まれてきた子ども、という、実に何ももっていない存在に自分のアイデンティティをうちのめされてしまう。
 
 …しかし、ヴィスコンティが作ったイメージなのか、普遍的なものなのか知りませんが、やっぱり、金持ちって幸せそうに見えないですね。金の修行、心の修行は、なかなか果てしなく遠そうです。

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by ropponguimovie | 2006-07-30 09:23

『マイアミ・バイス』

 突然ですが、この稿の中に出てくる「ルールズ」というのはこの本 のことです。(画像が表示できない…)

 マイケル・マン監督にとって女はいつも「主人公の泣きどころ」なんだと思います。今回は主人公がふたりいるので、その泣きどころぶりも対照的に作ってあります。ジェイミー・フォックス演じるリコは同僚のトルーディを大切にしていて(ステイ型)、当然、トルーディは敵に拉致されて危ない目に合う。一方、フロー型のソニー(コリン・ファレル)が恋に落ちるのは、麻薬捜査官として潜入した先の取引の相手で、中国系キューバ人のイザベラ。うおー、危ない危ない。もうこれでわかっちゃうようなストーリーですが。

 いったい誰のディレクションか知りませんが(こういう演出をつけるのが、監督の仕事なんですか?)ふたりのメイクラブの仕方まで対照的で。リコとトルーディはトルーディも情熱的なブラック・ヒスパニックらしく、リコがシャワーを浴びているところに入ってきたりするけれど、基本的にはリコが終始リードするスタイル。ずーっとリコが上になってるから、カメラはずーっとリコの背中が動くのを写してる。(この背中は黒くてすべすべしてて、本当にきれい)。その上になってる背中に、彼が彼女を大事にしてるっていうところがちゃんとにじませてある。
 一方、ソニーは…、まあ、コリン・ファレルですから、いかにも火遊びっぽいんですが、女も女。ソニーが上になったりなんかしません。あのー、あの形、なんていうですか? 男も女も座ってて、女が上になってるやつ(ものを知らなくてすみません…)こう、女がのけぞるのがシーンの見せ場であるようなスタイルです。
 そしてこの女というのがコン・リーですよ。うーん、私、今まで見たなかでこのコン・リーが一番好きかも。中国人だけどラテン人だっていうこの役を得て、感情を全部さらすことが大切な役ですから、コン・リー、とても生き生きして見える。9歳年下のしかもハリウッドの新暴れん坊・コリンを相手に(ソニーは「セクシーな女」にひかれていて、「年上の女」にひかれたという感じではない)堂々たるセクシーぶりです。

 プレスに「かつて、これほどまでに「リアル」に描かれた潜入捜査があっただろうか」って書いてありますけど、ボーシットですよねえ。リアル・ワールドではこんなふうに女はからまないし、実は、からまなくてもこの映画は作れたと思います。でも、マイケル・マン監督はやっぱりこういうふうにからめてくる。泣きどころになってくる。それは何故?

 マン監督は確認するまでもなくいっつも男くさい映画ばっかり撮ってるわけだけど、その中にあって女は、男くさい主人公達のアイデンティティを補完する最後の1ピース、という役割がことさらに強いと思います。だからひかれちゃうし、彼女達が死んじゃうととても困る。「ルールズ」は、男が自分のアイデンティティの最後の1ピースになっててそれを探してて、男の側からものが見れなくなってる女が読む本(ひどい?)なんですが、こっち再度から見ると、彼らだってやっぱり、まったく同じ面があるんだなあ、と、なんか目が開けた気がしました。

 そういうわけで、この映画は、麻薬捜査の映画ではなくて、その女との関係を通してふたりの男がどう変わっていくかを描いた映画なので、対照的な男達のラストは、女とのラストも対照的です。コリンとコン・リーのラスト、とてもよかったな。

9月2日、日劇1他にて公開

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by ropponguimovie | 2006-07-29 20:03

『ハードキャンディ』

 突然ですが、この稿の中に出てくる「ルールズ」というのはこの本 のことです。(画像が表示できない…)

 ウォルト・ディズニーは長編第一作の題材として『白雪姫』を選んだときに「長年あたためてきたプランだった、これ以外の作品は考えられなかった」といっている。お姫様と王子、そして、異様なまでに怖い(ディズニーの映画の中で一番怖いといわれている)継母・魔女。東京ディズニーランドに行くと、お化け屋敷の「ホーンテッド・マンション」には注意書きは何も書いてないのに「白雪姫」の前に行くと「怖い魔女が出ます、小さいお子様はご注意ください」と書いてある。一方で、同じグリム兄弟の原作である『赤ずきん』に、ディズニーは最後までまったく興味を示さなかった。
 シンデレラでは最後にシンデレラが継母にやけた鉄でできた靴をはかせたとか、白雪姫の母親は本当は実母だったとか、多くの民話にはもっと残酷な「外伝」があるものだが、『赤頭巾』は、被害者であった少女とおばあさんが、狼の復讐に成功する、という結末が「正史」として残された唯一の物語である。
 狩人の手は借りちゃってるし、それに、ここでの被害者は「子ども」と「老婆」、つまり性的存在ではなかった、単に弱者をいじめるひどいやつだったから、正史として残ったのだろうけど、考えてみたら、この狼は、成熟した女には手を出せない、子どもと老婆を性的存在として狙っていたという、本当にどうしようもないやつだったかもしれないのである。

 その「どうしようもないヤツ」vs 「性的存在に見えない女」がこの映画のコンセプト。とくに赤ずきんちゃん役のエレン・頁が出色だ。とにかく、色っぽくないんだよねー。プロフィール的には「出会い系サイトですぐ会える未成年の女の子」でも、そういう場でそういう子に会いたい男って、ルックス的にはもっと違うタイプを求めてるんではないか? 「それでもいいから、やれればいい」っていう演出だったのかな? 今回の男の狙いはただやるだけではない、リアルろくでなししみたいだし。

 で、その性的存在に見えない女はこのどーしよーもない男に、徹底的な復讐をはかっていくわけだが、さてここで「ルールズ」です(読んでない人がほとんどだと思います。すみません。ケネディジュニアの奥さんが、ジュニアのハートを射止めるときにこの本を参考にしたと発言して有名になった恋愛成功法則本です)。

「ルールズ」を読むと、あなた(女)の恋愛がうまくいかないのは、ようするに自分でそうしちゃっているからだっていう事実をつきつけられる。壁作ってるか、依存して相手からひかれるかのどちらか。でもね、「自分でそうしちゃってる」ってことは、本人が意識してるしてないにかかわらず、別のメッセージを男に送ってるといえませんでしょうか。つまりね、「世の中どうしていい女いねーんだよー」みたいな。ここでいう「いい女」というのは男に都合がいい女というのではなくて、「この世の中、生きていくのも悪くない」というエネルギーを与えてくれる女のことだ。(「ルールズ」がなれといっているのは、そういう女だと私は解釈している)。つまり、自分がブスであるということは、自分もつらいかもしれないけど、同時に相手の世界観を真っ暗にするダメージを軽々と与えることができるわけよ。

「気が付いたらしばられて股間の上に氷がのせられてた(その後起こる痛みを軽減するために)」っていう演出は、男の失神者を出したそうだけど、この演出考えた人、えらい。だって、私も「そりゃーつらかろうよ」と共感できたもの(笑)。

 でもね、もっと男に対する厳しい復讐(先制攻撃?)があるとしたら、「世の中に、大事にすべき異物がない」っていう世界観を刷り込むことだと思う。そういう男にはこの映画みたいにますます天誅(?)が下って、彼はますます女が嫌いになることだろう。怖い。ミサイル打ち込むより怖い。

「もてない女」をやめることは、立派な平和活動なんじゃないかとこの映画を見て思ったのでした。エレンちゃんは本当はかわいくてチャーミングなのよ。

8月5日より、シネマライズにて公開

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by ropponguimovie | 2006-07-29 20:02

『ハッスル&フロウ』

 こういう、「ヒップホップ・リベンジ」もの、大好きなのです。『8マイル』3回見たし。これは『ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン』よりは良かったかな。

 『ゲット・リッチ~』がイマイチ好きじゃなかった理由は、タイトル。だってそのまんまなんだもの。『8マイル』って暗喩じゃないですか。こういうのを「詩ごころ」っていうんだと思うんですよね。
 「ハッスル」というのはピンプ(ポン引き)の隠語。「フロウ」は…、正確に定義できない○=|_。チラシに「湧き上がる想いをビートに解き放った瞬間、世界中を熱狂させるフロウが生まれた」とあるので、そういうふうに使うらしいです。

 最初っから「バカだなーこいつ、そんな甘い話、うまくいくわけないじゃん」というゴールのために彼らは奔走を始める。地元からブレイクしたヒップホップの雄、スキニーの凱旋パーティに誘われたDジェイは、「そのとき、彼にデモ・テープを渡し、それを気に入ってもらえれば、デビューの道が開けるに違いない」と確信し、テープ作りにのめりこむ。でもさー、そんなの、どんなにいいテープでもスキニーが動くかどうかなんて、わかんないじゃん。それに、そんなにいいテープなら、直接レコード会社に送ったほうが早いじゃん。営業って、「紹介者を通せばうまくいく」ことなんてほとんどなくて、いい商品作って誰でも買いたくなるようにするほうがずっと確実なんだよねー。最後にDジェイがチームのノラに「これをラジオ局に渡せ」っていうんだけど、「最初っからやりなよー」って感じ。

 でも、Dジェイがそれを求めてしまったのは、すぐにでも「お前はいける」といってくれる人を探していたからで、これは彼の父親探しの物語である。Dジェイは最後に父親を倒して、先に進むのです。

 キャストがいい。テレンス・ハワードのセクシーさ、存在感は圧倒的だし、『8マイル』でエミネムのモトカノ役をやってたタリン・マニングが、ブリタニー・マーフィに負けないはすっぱ感。白人なのにサウンドオタク役のD.J.クオールズも一度見たら忘れられません。彼は『コア』に続きオタクの役だが、強い顔だよねー。彼はハンサムなのだろうか。「プラダ」のモデルをやってた、と、聞くと急にそんな感じがしてしまうのだが。

8月12日、テアトルタイムズスクエアにて公開。

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by ropponguimovie | 2006-07-29 19:56

2006年7月第1週・第2週に見た映画

★はおすすめ印
◆は誰にでも勧めるというのではないが、個人的には問題作だと思っている印
□は、すごく期待していたのに、裏切られた~(怒)という印

『40歳の童貞男 The 40 year old virgin』
 アメリカ版『電車男』といわれるが、そのわりには恋のお相手は苦労人のシングル・マザーだし、童貞君とわかって誘惑する店長は80年代から頑張ってそうなキャリア・ウーマンだし、彼を取り巻く女性達は日本の『電車男』よりずっとタフでマチュアだ。ショウ・ケースの中の花にすぎなかった『電車男』のエルメスとは偉い違い。
 電車男「エルメス」って、アメリカ人から見たらどう見えるんだろうね。「セーラームーン」の親戚に見えるのだろうか。
 9月5日よりユナイテッド・シネマとしまえん、9月30日よりユナイテッド・シネマ岸和田にてレイトショー(ずいぶん小さい公開規模だなー)


『スーパーマン・リターンズ』
 予想どおり、意外と面白かった(回りくどいいい方ですね)。今夏の超大作の中では薦められると思う。別項参照。
 8月19日、全国公開。

『ディア・ピョンヤン』
 在日コリアン2世のヤン ヨンヒ(梁 英姫)が、終戦直後から総連の活動家として働いてきた父親を、10年間見つめて撮り続けた作品。この作品がベルリンやサンダンスで観客にウケたかと思うと、「おそるべし、日本のおとうさん(日本じゃないけど、ステテコはいて布団でごろごろしてるしねー)」と思ってしまう。
 別項参照。
 
『クリムト』
 チリ生まれの監督、ラウル・ルイス監督作品。
『不思議の国のアリス』だなあと思って見ていたら、ルイス監督には本当にそういう自覚があったようだ。主人公はたしかにクリムトなのだが、彼の役割はむしろ狂言回しであり、その主役は、世紀末ウィーンというけったいな世界であり、そこで自分を見出そうとするけったいな人々である。どこまでが幻想か現実かわからない世界構築がなされていて、それがクリムトの絵の解釈は面白い。
 面白いんだけど、ではその世界を、クリムトが自分の作品構築にどう取り込んでいったのかという点は全然描かれていなくて、その点は物足りなかった。映画の中で彼は作品を作ることに何も苦労していない。「モデルに触れないと作品が描けなかった」とか、子どもが30人いたとか、「接吻」のモデルは妻の妹だったとか、もっとも近くにいたパートナーとはプラトニックだったとか逸話があれば、彼の心の中にこれだけのワンダーランドがあってもいいと思うのだが。
 2006年秋、公開

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by ropponguimovie | 2006-07-29 19:42

『ディア・ピョンヤン』★

 これを見て、どうしてピョンヤンが一部の人々にとって今なお熱狂的な憧れの土地であるかがわかった。ピョンヤンって、アメリカっぽいのだ。「アメリカっぽい」とは、初めに理念ありきの都市だということである。住みやすいから人が集まってきて、なんとなく自然発生的に生まれた都市ではないのである。その理念が、アメリカの民主主義と同じくらい輝かしい思想なのだから、それは魅力的にうつることであろう。

 そのピョンヤンに「ディア」とついているのが面白い。「ディア」というのは感情を表す言葉だからである。「ディア・ピョンヤン」という言葉は、「ピョンヤン」という思想信条を、「ディア」という感情が超えていく、あるいは包み込んでいく複合語のように思われる。
 ピョンヤンを崇拝してやまなかったのは監督で在日コリアン2世のヤン ヨンヒ(梁 英姫)の父親(総連の熱烈な活動家)であったが、その父親が「ピョンヤン」を「ディア」と思っているかは疑わしい。父親は「ディア」というよりはむしろ、「理想の」とか「輝かしい」と思っていたように思う。いや、父親の中に「ディア」という感情語があるかどうかが疑わしいのだ。なぜなら彼は「父親」だからである。「父親」とは「理念」のメタファーである。だから、「ディア・ピョンヤン」というのは、娘から見た父親の平城に対する気持ちを父親の語彙にはない語で表した言葉であり、娘の父親に対する愛の宣言(=ディア・父親)であり、「父なるもの」に対する愛の宣言でもある。

 この言葉は、息子と父親の親子関係では生まれなかった言葉のように思う。理念と理念でぶつかりあう父親と息子では、『血と骨』のように、厳しい相克がふたりの間に生まれただろう。
 しかし、愛をもって育てられつつも、思想の違いや国籍を変えることで対立してきた娘がこのような言葉で「父なるもの」を呼ぶとき、娘は父を大いなる愛をもって受け止め、また乗り越えているのだ。

 実際、映画では娘が直接父に語りかける形でインタビューが進み、(監督)本人によってナレーションが入る。その声は、実に娘自身の成熟・成長を感じさせ、今でも父についトゲトゲしく説教してしまう(理念で対立してしまう娘なのだ、私は!)から見ると、驚嘆してしまうほどである。
 もしかしてこれが息子のとった映画であれば、その息子は、決してステテコ姿で布団にごろごろする父親を撮ることはなかったろう。父親も、ステテコ姿で布団にごろごろする姿を見せることもなかったと思うのだ。そのステテコ姿に、世界が拍手を送ったのである。

 それにしても、在日コリアンの歴史について監督自身がまとめた前ふりの字幕は見ていて複雑だ。主語と行動の主体が一致しない不思議な言語。これでは自分たちでも気分が悪かろう。

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by ropponguimovie | 2006-07-29 19:40

『バッシング』

JUSTの会報に寄せられた斉藤学医師の講義録を読んでいたら、興味深いことがあったのであらためて本稿を書こうという気になった。
 この映画のモデルとなったイラクで人質となった三人が帰国したとき、斉藤医師はトラウマのエキスパートとして成田で彼らの診断にあたった。診断は極度の疲労と、急性ストレス障害。それはまあ普通の診断(?)として、斉藤医師は、三人の家族に違和感を覚えたという。ようするに「家族さわぎすぎ、家族が子ども達の人生に介入しすぎ」という違和感だったという。
 テレビの映像は「極端な一言」に全体像を集約しようとする傾向があるので、ふだんからその一言に反応するのは避けているのだが、あのときの家族の様子はたしかに私にも強く印象に残っているのだ。「これはぜひ、撤兵するように日本政府に動いていただいて…」といそいそと発言した家族は、子どものために働ける手段ができたことが心底嬉しそうであるように私には見えたのだ。それを「自己責任でしょ」とたしなめる政治家の姿は、子どもに対して理念であたろうとする「父親役」、「そうはいってもあの子のピンチなのだから」と世話を焼こうとする家族は、「母親役」であるように私には見えた。「自己責任で山に行ったって助けるのに」という、後から出てきた理屈とはまったく違う自己責任論が、展開されていると思ったのである。

 この映画のように、彼らのイラク行きがどこまで、「家族との確執が背後にある個人的な物語」であったのか私は知らない。しかし、この映画の中では、主人公は、息苦しい家族関係からの逃げ場所としてイラク行きを選んだように描かれている。彼女自身もとても生き方がうまいといえた代物ではなく、食べるものはコンビニのおでんだけ、一つの具を一つずつの容器に入れさせ、すべての容器につゆをたっぷりと詰めさせる姿は、コミュニケーション不全ということばを超えて、社会への攻撃性をもっているとさえ判断できる。戦地のボランティア活動なんてずいぶん瞬時の柔軟な判断能力が求められる仕事だろうに、こんなんで彼女はそこで足手まといにならずにやっていけたのだろうかと、心配してしまうほどだ。
 私がこの映画の映画評で海外評として「なぜ日本でバッシングされたのかわからない」というものをのせていたが、むしろこの映画はバッシングされてしかるべきなような彼女の姿を描いている。それは事実とは違うかもしれないが、この映画ではむしろイラクは「救い」として描かれている。「みんな私を受け入れてくれない、ここよりはまし」と。

 海外の映画評を紹介した日本の記事を読んだとき、「彼らを受け入れなかった日本共同体の排他性が描かれている」みたいなことが書かれていたのを覚えている。これは、本当に海外メディアがそう思ったとしたら驕りだと思うし、日本のメディアがそう思ったのだとしたら自虐だと思うが、とまれ、映画は決して日本社会のみの排他性を告発するものではなかった。協奏能力の低い個人、協奏能力の低い小さな共同体(家族)、協奏能力の低い大きな共同体(地域)がもたらす齟齬、そして最終的な融和を描いているのだ。

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by ropponguimovie | 2006-07-29 19:39

2006年6月第5週に見た映画

★はおすすめ印
◆は誰にでも勧めるというのではないが、個人的には問題作だと思っている印
□は、すごく期待していたのに、裏切られた~(怒)という印

『ミラクルバナナ』★
 実話をもとにした日本の映画。世界最貧国の一つ(どこにあるのか誰も知らない)ハイチに行って、現地のバナナの木の繊維から紙を作ろうとする話。
 日本のゴミで今一番問題なのは「紙ゴミ」だって知ってますか? 私もあなたも、家に届く大量のチラシやDMを毎日捨てていると思う。一方で、1日1ドル以下で暮らすような国では、やっと学校に行けてもノートがないことが教育の大きな障害になっている。マネー、オイルと同様、格差社会を作っているのが「紙」であることがわかる。紙を使える量の差が豊かさの差を生み出しているのだ。
 物語が駆け足なのとキャスティングがちぐはぐだったり役者が大根だったりするんだけど、最後に紙が出来上がってみんなで踊るシーンが素晴しくて。それまで大学院生役が全然似合わなかった山本耕史がバック転しながら踊る姿がいいし、頑固一徹な美濃の和紙職人役の緒方賢が、現地の少年に抱きしめられて笑うシーンもほろりときます。
9月公開
中国地方ではすでに公開されている模様。

『マッチポイント』
 試写室連日満員。なのは、スカーレット・ヨハンソンとジョナサン・リース・メイヤーズのラブ・シーンが見たいから? とアレンが嫌いな私は思っていたのだが(『スコーピオンの恋まじない』以来見ていない)、そうじゃなくて、今度の作品は評判がいいかららしい。アレンがニューヨークを出てロンドンを舞台に撮ったのも話題らしい。
 ヨハンソンは『理想の女』で演じた「イノセントな女」と正反対の悪女でめちゃめちゃ魅せる(ボディラインがすばらしい!)が、メイヤーズは容姿がすでにたるみ始めているのが気になる。『ベルベッド・ゴールドマイン』や『Bモンキーズ』のときがあまりにシャープだったのでどうしても差がついてしまうのと、なんというか「アイルランドたるみ」なんだよね…(酒いっぱい飲むんだろうなあ)。むしろ彼の義兄役で無名のマシュー・グードの方が、自分の家柄と親の意見を考えて結婚相手を選ぶアッパークラスのぼっちゃん役なんだけど、ダークな役どころやったら意外といいんじゃないかと思いました。
(以下、ネタばれなので反転)
  あと、いくらアレンの世界だからって、殺人事件に関するプロット甘すぎ。ノラがクリスにおびき出されるところ、ブティックの店長がばっちり見てたん。あれが警察の知るところとならないって、ありえないよ。
晩夏 恵比寿ガーデンシネマ シネスイッチ銀座にて公開

『風味絶佳』
 柳楽優弥、沼尻エリカ主演。製作に亀山千広、太多亮、臼井裕詞、監督が『愛という名のもとに』『冷静と情熱の間』を撮った中江功…と、いつものフジテレビ組の顔がずらりとならぶのだけれど、それでも沼尻エリカもグランマ役の夏木マリも、友人の恋人役の女性(キャスト名わからず)も、み~~~んな原作の山田詠美さんご本人に見えてくるから不思議。作家のカラーって、これぐらい強くないとカリスマ性もてないのね。
 9月16日、全国東宝系公開
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by ropponguimovie | 2006-07-01 11:09