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『グアンタナモ、僕達が見た真実』『約束の旅路』

 世の中には知らないことがいっぱいある。知るとつらいことを目に入れないようにして生きていくのはサヴァイヴァル・スキルの一つなので、知るとつらいことを目に入れる余裕があるということは、ありがたいことだと思っている。一方で、こんなことを知られずにいること、また、自分が知らなかった、というのを思うと、げんなりくる。

  マイケル・ウィンターボトム監督の新作、『ロード・トゥ・グアンタナモ』は、イギリス市民権をもつパキスタン系イギリス人が、パキスタンに里帰りした際、アルカイダに間違われて米軍に拘束され、グアンタナモ捕虜収容所に入れられてしまう話。このグアンタナモというのはキューバ(アメリカの自治区があり、そこではやり放題らしい。「グアンタナモ」で検索すると一杯出てくる)にある悪名高き収容所のことで、この映画がベルリンで銀熊賞を取った後、凱旋帰国した俳優(本人達がそのまま出演している)が、入国の際身柄拘束というおまけまでついた。
 
 『約束の旅路』は…、説明するだけでも複雑かつ泣けてくる話。エチオピアの山中には、古代からユダヤ教徒が住んでいた。近年になってヨーロッパ人が改修させたのではなく、自分たちを「ソロモン王とシバの女王の子孫」と称してユダヤ教徒であるエチオピア人がいるというのだ。
 70年代、エチオピアに内戦が起きて彼らがスーダンの難民キャンプに逃げようとすると、イスラエル本国のユダヤ人は、キャンプの中からユダヤ教徒だけを選んでイスラエルに「帰国」を実行した。これを「モーセ作戦」と呼ぶ。
 主人公シュロモは、母親とともにキャンプに流れ着いたが、彼はキリスト教徒だった。瀕死の母親は、息子をなんとか生かそうと、子どもを亡くしたばかりのユダヤ教女性に彼を託す。その女性は、彼が自分の息子でユダヤ人と偽ってくれ、シュロモ(ユダヤ教徒になってからつけられた名)をエルサレムに脱出させることに成功する。
 かくしてシュロモは命は助かったが、本当はユダヤ教徒ではないという自分を隠していること、黒人であるということで周囲から「二等ユダヤ人」的な扱いを受けることで、ますますアイデンティティの危機に襲われる…。

 原題がVa,vis et deviens というのだが、これは「行け、生きろ、(何者かに)なれ」という意味。母親がシュロモを捨てる(ユダヤ人女性に託す)に当たって彼にいったことばだ。これが泣ける。
 その場を去り、自分ではない別のものになれということは、アイデンティティ的には「生きるな」という意味である。しかし、生命のためにはそれが「生きろ」なのである。自分の一部を殺し、それにより新しい生を得る。それは、いじめから恋愛にいたるまで、人の魂の成長の軌跡である。であるから、この映画には非常に強い普遍性がある。それにしても、あまりに壮絶なストーリーである。


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by ropponguimovie | 2006-10-26 23:54 | 比較論やエッセイ

『オーロラ』

 ひさびさに試写で2回見てしまった名作。
 オペラ座のスターが総出演するバレエ映画であるが、隠しテーマは「国防」である。国の「王様は、国の外側を固めようとして(さすがに「美しい国」というキャッチフレーズはないが)、その結果、誰も住みたくない国を作ってしまった。王様は悪いというより愚かな人形で、影で糸をひいているやつがいるというのも、示唆にとんでいる。そういう国では、王様は、愛する妻を失い、娘を政略結婚させようとする。

 主人公オーロラの弟で、将来は国を継ぐと見られていた弟が、画家になるため国を捨てるシーンで、弟は父親にいう。「ここはあなたの国だ。私は私の国を探す」。国は個人のアイデンティティの発展形であり、個人のアイデンティティは自分が築き上げるものであって、世襲できないものである。かつて王様はそのことを知っていた成熟した男で、だから彼の妻(オーロラの母親)は踊ることを自主的に捨てた。しかし、国を継がせるために息子や娘の個人のアイデンティティを育てることを禁じた日から、国は崩れていく。

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by ropponguimovie | 2006-10-24 22:58 |

『父親たちの星条旗』

 クリント・イーストウッド監督作品って、(みんなが今までどんなに誉めても)私には「?」だったのだが、今回は初めて手放しでいいと思った。彼の演出手法と作品がぴたりとあっていて、互いがよい出会いをしたという感じだ。

 イーストウッドに一貫したテーマがあるとすれば、「ヒーローであることの苦悩」「ヒーローであることの欺瞞」「ヒーローであることの居心地悪さ」だと思う。硫黄島で星条旗を立てたという行為が実は「やらせ」だったかもしれない、という今回のモチーフは、イーストウッドのこうしたテーマに実にぴったりなのだ。

 とにかくクール。べたっとしたこくはゼロで、非常にキレのある演出である。ヒロイズムも、センチメンタリズムも、自虐史観もない戦争映画。ニュートラルだがいいたいことがないわけではない。

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by ropponguimovie | 2006-10-23 09:08

『クロイツェル・ソナタ』

 原作はトルストイで目新しさはなく、歌舞伎のようにできている話を楽しむ映画である。
 主演の夫婦ふたりが非常に美しいのだが、その美しさが「虚像の夫婦」としてうまく使われている。
 ただ、トルストイが原作で書かなかったのか、映画のなかでカットされているのかわからないが、女の方がどうしてこの結婚にのってしまったのかの描きこみが少なかった。夫の方は、子どもの頃からの生い立ちによって、家族に対して「憧れと憎しみ」を同時にもっていたことが描かれている。しかし、夫に強引にくどかれ、一時は主婦・母になることに喜びを感じていた妻はなぜそのような選択をし、同時になぜ家庭の中に息苦しさを感じるようになったのだろうか。

 夫の目がくりくりしているからかもしれないが、ヒロミ・ゴーとユリエ・ニタニの夫婦を思い出しちゃった。ユリエ・ニタニは、「3回で結婚を申し込まれた」を、どうしてノーをいうすべもなく、押し倒されるように受けてしまったのだろう。

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by ropponguimovie | 2006-10-22 23:12 |

『ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド』

 上映前に資料を読まずに映画が始まってしまったので、フィクションなのかノンフィクションなのか、ドキュメンタリーなのか劇映画なのか、全然わからなくて面くらい、そのどこにいるのかわからない感じがかえって心地よかった。ドキュメンタリーと劇映画の境目をぼかす描き方はこの映画だけでなくすっかり定着した21世紀型の映像芸術ともいえるし、現実世界でもその境目がなくなってきたといえるし、人々が2つを分けるパラダイムを破棄し始めた、ともいえる。

 それにしても…ジョナサン・リース・マイヤーズ(最近すっかりたるんでる、たぶん、すごい酒量だと思う)のデビュー時もぶっとぶ美青年ぶりだ。しかも双子だ。おまけに結合体双生児だ。幸運と不運が強烈に同居している。

 イギリスというのは世界でもっとも同性愛を許容しない文化の一つだと思うが、そのイギリスからこうも次から次へと「美しい男」が生まれ出でてくるのが面白い。もしかして、トランスジェンダーへの非寛容は、万に一つ、かえってその高いハードルを越えて生まれてくる美男子を生み出すための土壌なのだろうか。

 今資料を整理していたら、「ザ・バンバン 未発表オリジナルアルバムリリース決定」というチラシが挟み込まれていた。実在したのか? ザ・バンバン。いやいや、信じないぞ、と思わせてしまうほど、よくできた、美しくて悲しいお話である。

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by ropponguimovie | 2006-10-22 17:28 |

『善き人のためのソナタ』

 33歳の監督、○○○○(すみません、あとで入れます)は、『グッバイ・レーニン!』にかなり不満があったらしい。あんなふうに過去を許し、受け入れ、美化するのはまだ早すぎるというわけだ。東西冷戦時代、東ドイツでかつてのゲシュタポより怖れられた「シュタージ」の将校が、芸術家の盗聴に関わるうちに、疑問を抱いていく姿を抱く。

 この将校は、本当の共産主義者だったのではないかな。富は分配するもので、社会のために個人はつつましく生きるもので、そうすればみんな幸せになれると信じていた。しかし、上司の越権行為、自分の生活の精神的な貧しさなどが、彼に疑問を与える。彼は愚直な男であったが、自らの中の原則には忠実であった。

公式サイト

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by ropponguimovie | 2006-10-22 09:54 |

『TANNKA』『無花果の顔』

 『TANNKA』は阿木耀子、『無花果の顔』は桃井かおりと、女性監督(他の分野で活躍している)のデビュー作なのだが…。
 物語の骨は細いのに(終わった後、釈然としない部分がありすぎ)、大道具・小道具がやたらと充実しているのがかえって気にかかる。『TANNKA』の主人公はとくにおしゃれすぎて、見ているほうが本人の心情を追わず、ファッション雑誌を見るような感覚で衣装ばっかり追っかけてしまう。最近の日本映画でときどき見るのだが、衣装が、本人のキャラクターを補完するのに使われず、衣装は衣装だけでひとり歩きしてしまうのだ。「ドラマを見ながら、カタログを見る」という感じになってしまう。(CanCamでエビちゃんが「実写マンガ」みたいのをやってますが、あれの延長なんですかねえ)。
 主人公薫里が、ベリーダンスや自分が書いている短歌に対してどう折り合いをつけるのか、ということが、全然ストーリーとからまない、というのがすごい。『フラガール』みたいにダンサーになるわけでもないし、短歌の作品を出版し、ライターとして自己実現する、とか、そういうのもない。

 ただ、『TANNKA』のビジュアルは、ドラマ性を凌駕してしまうので、それはそれで見ごたえがあった。主演の黒谷友香の存在が「女優!」っていうより「モデル!」っぽいのだが、モデルとしての黒谷友香がカッコイイ服を着て、おしゃれな部屋で男達とエッチして、男の前でベリーダンスで腰をくねらす、というだけで、たとえば叶美香の写真集を見るような楽しさである。東映の試写室で午前10時からの試写で補助椅子が出るなんて初めてだったけど、みんなその写真集を楽しみにしていたし、実際そこそこ楽しんだのではないか。
 それにしても主人公は、「書く」という行為もエロスとしてもうちょっととらえて欲しかったですけどね。フリーライターなんだからねー。

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by ropponguimovie | 2006-10-22 09:41

『ファースト・ディセント』

 迫力満点! やっぱりスノー・ボードの映画はこうじゃなくっちゃ…。(でも『db』が失敗しているのは、役者の問題とか予算の問題ではないと思う)。とても素晴しいのは、この映画では出てくるボーダーたちがトリノ五輪金メダリストという世界最高峰でありながら、それでも「彼らは準主役、ほんとうの主役はアラスカの大自然」という態度を貫いていることです。もし、観客がその山並みを覚えていて、ボーダーたちの名前を覚えていなかったとしても、彼らは怒らないと思う。彼ら自身は山と自分たちのセッション(それは「むつみあい」という言葉がとても似合う)を十分に楽しんで、それでじゅうぶんに満足しているからだ。

 材料が豊富である。スノーボードの歴史、彼らのゲレンデでの迫害、経済効果による、手のひらを返したようなスポンサーやFISの態度、ニューエイジスポーツの選手が抱える刹那主義、虚無主義との直面(麻薬やってたけど禁止薬物じゃなかったのでオーケーだった!)。豊富な競技シーン。日本で開催された、巨大予算によるアイスショー(東京ドーム!)では、その異様な盛り上がりにためらいつつも、「拍手されるとつい頑張ってしまう」、パフォーマーとしての素直さがいい。

 「人間と自然の共生」。サーフィンやスノーボードには、みんながイメージしようとしてなかなかできない、理想の姿の一例が提示されているように思う。人間は「反自然的」な存在で、エコに生きようとしてもそもそも無理、というか、芸術などのように人間らしいよさまで否定してしまう部分がある。人間らしさを否定せず、しかし自然ともともに生きられる、モデルが、不完全ではあるけれど、見える。
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by ropponguimovie | 2006-10-22 09:16 |

『不都合な真実』『ダーウィンの悪夢』『サンキュー・スモーキング』

  またまた更新が止まっちゃってたのはこの3作のせいです。

 かつての大統領候補であるゴア氏の環境への訴えの世界行脚を撮った、ほぼ全篇レクチャー・ムービーの『不都合な真実』。映画の最後に「地球環境のためにできること」がいくつもテロップされる。「木を植えましょう」「ハイブリッド・カーに乗りましょう」から、「地元の議員にプッシュしましょう、いい議員がいなければ自分で立候補しましょう」まで。でも、「肉食べるのをやめましょう(減らしましょう)、乳製品もやめましょう(減らしましょう)」は最後まで出てこない。大豆と同じ重さの肉を食べるとき、えさとして鶏肉なら5倍、牛肉なら20倍の大豆を消費してしまうこと、その大豆畑を開墾するためにアマゾンのジャングルがばさばさ切られていることを、ゴアが知らないはずはないのだが。牛肉は食べ物の吟醸酒なのだ。

 ゴアの父親はかつてタバコ農場を経営しており、タバコの人体への害を知ったとき、罪悪感からタバコ農場を廃業したという(そのため一家の家庭経営は苦境におちいる)。その後どういう経緯があったか詳しくは語られていないが、しかし現在、彼は牧場を所有している。
 それを見たとき、「あーあーあー」と思った。本質的に、ブッシュと同じなのだ、アメリカ文化の子。牛の子という意味で。

 どうも牛というのは、不思議なパワーがあるらしい。それがはっきりわかるのは、牛を食べるのをやめて、牛を食べることを「他人事」として眺められるようになったからである。
 ステーキを食べると「スタミナがつく」と感じる人は多いが、それは、本当のスタミナとは違う、一種の「ハイ」なのだと思う。あれを感じると、一種、王になったような気がする。牛が神様である宗教は、ヒンズー教や、古代バビロニアの多神教などもそうだが(旧約聖書は、全能の神を信じられなくなった民が牡牛の偶像を神とする話が何度も出てくる)、アメリカもまた、キリスト教ではなく、牛教なのではないか。シカゴ・ブルズ、的にあたればブルズ・アイ、屁理屈をいえばブルシット。でも、そのブルが、人間の攻撃性として乗り移っている気がするのだ。

 一方で、魚、である。『ダーウィンの悪夢』見ると、ほんとうに魚が食べられなくなる。
 魚はもう、人間が必要なだけ釣り上げる、採取文化のたまものでも、肉を上回る上質な蛋白源でもなくなってしまったのだ。それはすでに工業製品である。
『ダーウィンの悪夢』では、ケニア、ヴィクトリア湖に誰かが放流したために大発生してしまった魚、ナイル・パーチを追っている。巨大なこの魚が日々捕獲され、沿岸の工場で加工され、冷凍のフィレ肉が輸出される。最上得意先は日本、(日本の回転寿司では「シロスズキ」という名前だった)、次は、BSEや健康問題で魚が爆発的な人気を呼んでいるEUだ。
 魚の「あら」は現地で一箇所にまとめて捨てられる。ものすごい腐臭とうじがわく。それを、フィレ肉など口に入らない地元の人は拾い上げ、煮たりあげたりして食べる…。

 私は肉だけでなく、魚と卵も食べないが(乳製品は、香り付けのためにだけちょっと常備品がある)よく、「え、魚も食べないんですか?」といわれる。私が魚を食べなくなったのは、ほとんどの魚を「まずい」と感じるようになったからである。とくに「えび」がだめだ。ヴェジになる直前は、ファミレスのサラダなんかにのっかっているえびを見ていると、腹がたっていた。あの、「とりあえず、えびのっけとけば、日本人は好きだろう」みたいな感覚がいやだったのだ。そして、えびそのものは、ちっともおいしくない。世界中の現地の人の自給自足の場を荒らして、世界銀行の借金返すためにえび養殖して、そして、そのえびがおいしくなかったら、目もあてられない。あれを食べると健康になれる気がしない。

 私は、食品が加工されるとき、その食品には、必ずその食品を加工した人の「思い」が入ると思う。たとえ、ジャンク・フードであっても、作る人がこめた思いがよいものであったら、そのジャンク・フードには、食べると健康になったり心が豊かになったりする「何か」が入るのだ。愛情に満ちた親子が食べるファスト・フードは、愛のない家庭で作られたマクロ・ビオテックより身体によい。そういうものは、ちょっと身体を敏感にしていればわかることである。
 そしてそう考えると、世界中から輸入されてくる動物性たんぱく質にこめられた「思い」がいいとは、私には思えないのだ。魚は肉より、さらにひどいかもしれない。

 とかいいながら、『サンキュー・スモーキング』を見ると、いったいこれがどこまで冗談なのか? 笑えなくなってくる。
 この映画では、喫煙を推進する専業ロビイスト(タバコ業界団体に雇われている)が、彼を攻撃しようとするバーモント州選出の議員(酪農大国)に向かって、「チーズの油分はときに喫煙より危険だ。タバコを毒物指定するならチーズも毒物指定を」と迫る(つまり有害物質の問題ではなく、何を選ぶかという人間の主体的問題だといいたい)シーンが、クライマックスとなっている。
 しかし、この映画作った人、ミルクに含まれるカゼインは人間のカルシウムをかえって対外に排出してしまう危険物質だって、知ってましたかね? この映画は一応、「タバコは悪」、チーズを悪というのはむたいな話、という前提条件があるからユーモアとして成立するのだが、タバコとチーズの悪玉ぶりは、実際、そんなに変わらないかもしれないのだ。

 私は最近、人間が文明化し作り上げてきたすべての加工食品は嗜好品だなあ、と思っている。ただ、上にも書いたように、加工するときに込められた「思い」「気」を食べて、人間は幸福になったり健康になったりする(その逆もありだが)。そこに人間の奇跡がある。だから、ややこしい。
 しかし、生食ダイエットやってたって、「嗜好」するオプションはじゅうぶんすぎるほどあるのだ。私なんか、今日のナッツ・ドレッシングをカシュー・ナッツで作るか、ペカン・ナッツで作るか考えるだけで、ワクワクしてしまうぐらい、嗜好性が強い。
 動物性たんぱく質の摂取が減らせれば、Co2は減らせる。考えるより前に手を止めるべきである。これほど簡単に、健康と環境と平和(攻撃性がなくなる)に貢献できることは、ないと思っている。


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by ropponguimovie | 2006-10-14 18:33 | 比較論やエッセイ

『めぐみ』

 パティ・キム&クリス・シェルダン監督、演出うますぎ。
 こういう作品は一歩ひいて見られる外国人が撮ったほうが適任なのだと思う。夫妻は小泉訪朝のさいにニュースで初めて拉致事件を知ったということで、そのとき受けた衝撃、驚きが素直に画面構成や音楽使いに現れている。

 横田夫妻のもとに、コーラス部だっためぐみさんの独唱のテープが残されている。これが本当に美しいのだ。天使のような歌声である。あの歌声は本当に聞いていて涙が出てきた。日本にいて、彼女のニュースはよく見て、知っているつもりでも、やはり、人間としての血が通った存在である彼女のことを、自分は知らないのだなあと思った。

 二つ、ショッキングだったこと。一つは、キム&シェルダン監督が、「このストーリーは、ハリウッドの劇映画としてもじゅうぶん通じるストーリー」という印象を抱いたこと。いわれてみればそのとおりなのに、そんなふうに結び付けて考えられなかった自分は、どこか麻痺していたのだなと思った。それだけ怖くてひどく、そして、身近な恐怖だということだ。うーんと、でも実際は、この話がハリウッド的なんじゃなくて、この事件を首謀した人がハリウッド・ストーリーから触発されたんだと思いますけどね。
 もう一つは、横田夫妻の記者会見にも出席したのだが、そのときに、夫妻としては、まだまだ日本国民が、この問題について感心が薄いと考えているとわかったこと。あんなにテレビカメラが入った試写会や記者会見なんて見たことないのに、当事者として解決を推進する力になっていないと感じているジレンマが悲しかった。同時に、テレビ・メディアでほとんど報道されない犯罪、あるいは虐待などの被害者の気持ちはいかばかりかと思う。

12月よりシネマギャガ他で公開

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by ropponguimovie | 2006-10-12 15:37 |