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今週、いちばん癒せる映画vol.8『ルワンダの涙』

今週、いちばん癒せる映画vol.8『ルワンダの涙』
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 その前に前号の訂正。
 ソフィア・コッポラとスパイク・ジョーンズは、2003年に離婚していました。『マリー・アントワネット』と『ジャッカス ナンバー2』を見て「この二人が同じ屋根の下で暮らすんじゃキツそうだなあ」と思ったのがコラムにしたきっかけなんですが、「本当にキツくないか? もうガマンの限界を超えてないか?」と、裏とるべきでしたね。お詫びして訂正いたします。

 さて、今週(1月27日)公開、イチオシ!の映画は、『ルワンダの涙』。

 でも、あんまり癒されないかも(すみません…)。癒しがあるとすれば、同じルワンダ虐殺を描いた『ホテル・ルワンダ』が日本ではお蔵入りの危機→一般観客の署名運動→渋谷のユーロスペースという小さな映画館での公開 だったのに対し、こちらの『ルワンダの涙』は、最初っから六本木の東宝シネマズ他全国順次公開が決まっている、ということでしょうか。

 ちなみに、同じ日に公開される『グアンタナモ、僕達が見た真実』も、日本ではなかなか報道されなかった、グアンタナモ軍事刑務所(キューバ領内になるがアメリカの持ち物で、やりたい邦題の捕虜虐待が問題になっている)内のできごとを暴く、という、暗めの映画なのに、シャンテシネで公開されます。私は先週、『それでもボクはやってない』を見に行ったときに劇場で予告を見たのですが、他の映画の予告とは一段上の集中力が場内にみなぎり、みんな、じっと予告編に見入っているのがわかりました。

 さて、『ルワンダの涙』ですが、これは『ホテル・ルワンダ』より、きつい事実を見せてくれるかもしれません。『ホテル・ルワンダ』では、登場人物は、現地の人たちだけです。しかし『ルワンダの涙』では、アフリカに支援をしに来て、結局何もできずに、自国に帰っていったヨーロッパ人の心の葛藤を描いています。

 映画には、ふたりのヨーロッパ人が登場します。ひとりは、実在の人物をモデルにした、老年のクリストファー神父。虐殺の部隊となった公立技術専門学校(ETO)の校長であった彼は、暴力を否定する姿勢をつらぬき、ツチ族の子ども達を逃がし、最後まで現地に残りました。

 もうひとりは、海外青年協力隊の一員として学校に派遣された若き英語教師、ジョー・コナー。若く、情熱的で、理想に燃えていた彼は、しかし、後々まで、悔いの残る選択をすることになってしまいます。

 しかし、まだ平和な時代、彼は、学校の生徒で成績優秀なマリーをとてもかわいがり、熱心にスポーツの指導をしていました。この指導の思い出が、後で、マリーたち生徒を、サバイブさせてくれることになります。

 あー良かった、癒されるところ、思い出して(嘆息)。

 この映画は、当時のルワンダの虐殺に対して何もできなかった、という、我々への問題意識を強烈にかきたてるのですが、同時に、このように、それでも人と人とが関わることから生まれる奇跡のすばらしさを描いています。ラスト・シーンを見てもらうとわかるのですが、ヨーロッパを初めとする諸国の対応に悲しみを表してはいますが、裁こうとはしていません。だからこそ、見ていて、また、胸がしめつけられちゃうんですけど。

『ルワンダの涙』公式サイト 
http://www.r-namida.jp/index.html

『グアンタナモ、僕達が見た真実』公式サイト
http://www.guantanamo.jp/

*******************************
「今週 いちばん癒せる映画」!」 vol8. 発行27部
出典を明らかにしていただければ、無断転載は可能です。
発行人・石塚とも
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by ropponguimovie | 2007-01-26 22:17 | メルマガ

今週、いちばん癒せる映画vol.7 『マリー・アントワネット』

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 1月20日、午前10時の回で、今週のイチオシ! 『マリー・アントワネット』を見てきました。
 「シルクと、ダイヤと、ケーキに囲まれた、ひとりぼっち」。
 このキャッチ・コピーからして、うーん、うなりましたね。

 日本の女性達はマリー・アントワネットほど裕福なわけではありませんが、でも、「シルクと、ダイヤと、ケーキに囲まれたひとりぼっち」さんは、本当にたくさんいると思います。高度経済成長期以降に生まれ、物質的に豊かに育てられた女性達はみなそうです。
 ソフィア・コッポラは、その先駆者(?)みたいな女性ですが、彼女が育つ中で感じてきた「シルクと、ダイヤと、ケーキに囲まれた一人ぼっち」を、今やみんなが体感している時代になったのです。

 ソフィアは芸術家の娘として、たぶん潤沢な資金のもとでさまざまな文化を身につけて育ったんだと思いますが、そうした彼女が生い立ちの中で身に着けてきた芸術的感覚が、映画の中で花開いています。バロック豪華絢爛の時代劇のBGMに、こんなポップな音楽群を使うなんて、いったいソフィアのほかに誰が考え付くでしょうか? パステルカラーのガーリーなお菓子たちは?

 お菓子で思い出しましたが、映画の中でも触れられていますが、有名なセリフ、「パンがないならお菓子を食べればいいじゃない」は、彼女がいったというのは事実ではないそうです。しかし、事実だとしても、これを聞いて、むっとすべきではないと思いますね。だって、さびしい少女はいつだって、栄養の糧としてのパンよりも、心のすきまを埋めるお菓子の方が好きなものだから。

 アメリカには、「少女マンガ」という文化がありません。「少女マンガ」というのは、「少女の、大人になることへの恐れ」を表現した芸術ジャンルです。ソフィア・コッポラは、その、アメリカにない文化をほぼひとりで担っているように見えます。
 なにしろ、ちょっとしか登場しないフェルゼン、ホント、かっこよかったー(笑)。ジョシュ・ハートネットといい、ヘイデン・クリステンセンといい、ソフィア・コッポラは、こういう無名のイケメン探してくるの天才ですからね。資料がないので彼の名前が分からないんですが、きっとこの俳優も伸びるんだろうなー。

 ところで、先週から、『ジャッカス・ナンバー2』という映画が公開されています。これは、男性器にねずみさんの絵を描いたソックスをかぶせて、蛇の前にちらつかせたり、牛のとりたての精液をみんなで飲む、という、どうしようもないおふざけのシーンが延々続く映画なんですが、この映画の監督は、ソフィア・コッポラの夫、スパイク・ジョーンズです。
 マリー・アントワネットの夫、ルイ16世は、錠前作りが趣味で、妻と7年間性的接触がなかった(病気だったらしい)という、なかなか成熟にいたらない男性だったようですが、ソフィアの夫も似たようなもんだなあ、と思ってしまうのは私だけだろうか?

【追記】ソフィアとスパイクは2003年に離婚している、というご指摘をいただきました。
凡ミスです。一つ検索掛ければすむことだったのに、すみませんでした。
お詫びして訂正いたします。
調べたら、ソフィアは本作撮影中に他の男性の子どもを妊娠していたとか。
http://cinematoday.jp/page/N000847
うーむ確かに、この2作は、同じ屋根の下に住む人間同士の作品とは思えない、
それも、ただ「違う」のではなく「正反対」の方向なんですよね…。

『マリー・アントワネット』公式サイト
http://www.ma-movie.jp/
『ジャッカス ナンバー2』公式サイト
http://paramount_mtv.weblogs.jp/

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今週、いちばん癒せる映画vol.6 『不都合な真実』

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 さて1月20日公開のイチオシ! には、『マリー・アントワネット』を押したかったのですが、私はこれを試写で見られていません。続いての注目は『それでも僕はやってない』だったのですが、これも見られていません…++。
 
 しかし、3番目の候補だった『不都合な真実』に「しょうがないから」とつけるのはもったいないお話。地球環境がいかに危機に瀕しているか、アル・ゴア元副大統領は、豊富な映像資料とたくまざるユーモアを込めて語ってくれます。

 この映画は、「癒せる」映画ではないかもしれません。むしろ、「癒す」のを待っている場合ではない、「治療」の映画といえると思います。
 舞台挨拶でもゴア元副大統領はいっていましたが、「あなたの子どもが熱があったら、病院に連れて行くでしょう? 今、地球はそんな状態なのです、お医者様に見せなければなりません」と。

 …ところで、正直言いますと、この映画、結構、眠いです。私はなんとかちゃんと見ましたが、実は、試写室ではかっぽり口をあけて寝ている人が続出、いびきも聞こえてました。
 先日、私が以前購入したことがあある自己啓発テープの会社から、「意識の高い皆様のためにお知らせです! ゴア氏の講演会、3万円、彼と写真を撮れる晩餐会つきだと30万円」というお知らせが回ってきました。その講演会に出たという人に後日会ったんですが、その人もやっぱり寝ちゃったそうです。(…)
 そういうわけで、ちょっと、意識を高くして、寝てしまわないように見てください。

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今週、いちばん癒せる映画vol.5 『京鹿子娘二人道成寺』

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 1月13日公開のイチオシ! は『京鹿子娘二人道成寺』。
 主演は坂東玉三郎と尾上菊之助で、有名な歌舞伎の演目をそのままデジタルに収めた、迫力の映像です。
 細部が見られるという点では、生の舞台を見るよりすごいかも(歌舞伎座の舞台は、遠い座席からだと本当に遠いですから)。

 私は「歌舞伎」よりも「能」が好きで、謡曲・仕舞も習っていたことがあります。理由は、「能」の方が人間のトラウマティックな体験とそれにまつわる恨み、そこからの再生をはっきり描いているからです(恨んだまんま再生しないで終わる演目もたくさんあります)。日本の武士は、自分が戦争で殺した弱者の恨みを舞として舞うことで、死者の鎮魂を行っていたのです。

 ところが、時代が下がって「歌舞伎」になると、「鎮魂」の要素はほとんどなくなります。歌舞伎は庶民が作り、庶民が見るもの。自分が刀をふるって相手を殺した武士の世界とは関係がないのです。町民は武士より階級は低いし抑圧された存在でしたが、武士の「人が人を殺す痛み」なんてものは、上つかたのお仕事。知らぬ存ぜぬでいいのですから、無責任な(笑)娯楽性が強くなります。

 「道成寺もの」といわれる作品は、お能にも歌舞伎にもありますが、能の『道成寺』では、、思い人安珍に逃げられた清姫は、妄執のあまり鬼になってしまいます。お能の中でも最も怖い「般若」の面を使い、「みつうろこ」といわれる三角形の並んだ着物を着るのは、全身が鱗(爬虫類)になっているからです。これは、ほんとにこわいっす。(ちなみに能の『道成寺』は、能の中でも「鬼女もの」の中に分類されます)

 対して、歌舞伎の『京鹿子娘二人道成寺』では、主人公「花子」(名前も変わっています)は、鬼になったりしません。ずーっとお姫様の格好のまんまです。それどころか、この歌舞伎の最大の見所が、次から次へと一瞬にして変わっていく鮮やかな衣装がえで、全幕とおして、5~6回あります。どれもこれも、日本の着物でなければ絶対に見られない革新的な色あわせ。この色あわせを見ると、20世紀初頭の西欧世界がジャポニズムに熱狂したわけが理屈抜きにわかります。
 
 しかも、ひとりだけじゃ足りないから、花子をふたりにしちゃった、という、リアリズムなんてくそ食らえ、まったく意味のないゴージャスさ!

 『京鹿子娘二人道成寺』は、ストーリーは最大限単純化されていて、ただひたすら、花子がその舞を披露するという作品です。庶民の目からは、人の「恨」「鎮魂」なんてどうでもいい、というふうにも見えます。
 でも、その、ひたすら娯楽を追及した舞がもはや尋常じゃないのです。「踊り狂う」という表現が正しい。花子の舞は、生の喜びをことほぐ舞ではありません。妄執に取り付かれた舞なのです。

 それを娯楽として見てしまう人間、というのは、とても残酷な存在である気もしますが、「カタルシス」(浄化)、というのは、もともと(排泄)という意味もあるそうです(まあ、当然ですね)。どの人の心にも怒りや恨みはありますが、こんなふうに踊り狂うわけにはいきません。この映画を見たら、代わりに踊る花子を見て、少しは、いえ、間違いなく心が浄化されると思います。

 話は変わりますが、恋愛の成功法則で、「女が先に声をかけたら、その恋は絶対にうまくいかない、男が声をかけるのを待ちなさい、声をかけてこない男はあきらめなさい」というのがあります。
 一方、ファム・ファタル(「運命の女」と日本語に訳されてますが、「ファタル」は本来「命取りになる」という意味です)が男を食い殺す話は、世界中にあります。
 これは私は、「女の方から男を誘いたくなるとき」というのは、女の自己評価が著しく落ちているときだからではないかと思います。女が自分の力で幸せになることを怠けて、男に幸せに幸せにしてもらおうという依存心をもったとき、女は「誘う女」になるのではないかと思うのです。そして、男が誘惑に負けて「ついエッチ」してしまうと、自分が利用されたことには敏感に気づき、ますます自尊心を下げ、さらにいっそう男に執着するようになるのです。

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by ropponguimovie | 2007-01-12 23:56 | メルマガ

今週、いちばん癒せる映画vol.4 LAから特別編『プリティ・ウーマン』

今週、いちばん癒せる映画vol.4 LAから特別編『プリティ・ウーマン』
 読者のみなさま、あけましておめでとうございます。
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 無事に帰国しましたが、今週は公開の本数が少なく、「これだ!」と思うものがないので、LA渡航記念特別版を書きたいと思います。

 その映画とは…『プリティ・ウーマン』(ベタだ…)

 仕事の関連もありまして、ロスに行く直前に見たのです。
 そして今回、とても深い発見がありました。
 どうしてこの映画が、『ローマの休日』を超えて、世界でもっとも愛されるシンデレラ・ストーリーになったのか…。

 その鍵は、
 ヴィヴィアン(ジュリア・ロバーツ)でもなく、エドワード(リチャード・ギア)でもなく、
 ヴィヴィアンのルームメイト、キット(ローラ・サン・ジャコモ)、なんですね。

 キットは、ヴィヴィアンの娼婦仲間でルームメイトで麻薬中毒。彼女が麻薬に家賃の分のお金を使ってしまったために、ヴィヴィアンはその夜もう一度ストリートに立つはめになり、そして道に迷ったエドワードと出会った…という、結果的にはふたりのキューピッドになったような人です(笑)。

 話の中で、キットは、ヴィヴィアンを娼婦の仕事に誘った人であることも明かされます。ヴィヴィアンは初めての仕事のとき「嫌で泣いていた」といい、観客とエドワードをほろりとさせます。それに比べてキットはけろっとしたものですから、ここまでのキットとヴィヴィアンは対照的です。
 そして、このふたりは、あえていえば、共依存的な関係を結んでいたような感じです。
「キットがいなければ、ヴィヴィアンは命が永らえていたかもわからない」
「しかし、キットが誘った道は、決して尊厳ある道ではなかった」
「キットが麻薬中毒で使い込んだ金を、ヴィヴィアンが始末している」→ますます自己尊厳の低下。

 さて、お話はみなさんのご存知の通りに進んで、ヴィヴィアンは、「アパートと車を用意するから街には立つな」というエドワードのセリフを「私が夢に見てきた白馬の王子は、女を金で囲ったりしない」とはねのけるほど、強い自尊心をもった女性に変身します。
 そして、エドワードとの契約で得たお金で、中退した高校を卒業するところからやりなおそうと、キットとのルームメイトも解消します。
 これは、キットにとってはもう、自分が麻薬にお金を使ってしまっても、尻拭いしてくれる人がいなくなることを意味します。また、ヴィヴィアンも、そういう他人の責任をおっかぶる生き方がふたりのためにはならないことに、このときの彼女なら気がついていたのではないでしょうか。ふたりの危ういパートナーシップはここで切れるわけです。

 しかし、自分の人生に広い選択肢=自由を見出したヴィヴィアンは、ただキットと別れる、という、冷たい態度をとらないほどに心の成長をとげていました。

 成長のあるところには、赦しがあります。ヴィヴィアンは、自分を過剰労働(!)に追い込んだキットに怒りを感じるどころかエールを送り、エドワードから得た金を、「エドワード・ルイス奨学金よ」といって分けてやります。
 そのときに、ふたりは気がついているんですね。ふたりは、どうして娼婦という仕事がこれほどに惨めかというと、絶望とともに娼婦という仕事をやってきてしまったのだと。この仕事を選んでしている誇りあるセックス・ワーカーという人も世の中には存在するみたいですが、少なくともふたりは、「娼婦やる以外に、自分たちなんて何の役にも立たない」という低い自尊心とともに娼婦をやっていたのです。
 ヴィヴィアンの方は、その低い自尊心から、麻薬中毒のキットの尻をぬぐうという、世話焼き病にかかり、世話さえ焼くことのできないキットは麻薬中毒になっていたのでした。

 この映画のいちばん感動的なところは、エドワードとした一週間の心の旅によって、自分の尊厳を回復したヴィヴィアンから、キットに、その高まった自尊心が伝播してゆくところだと私は思います。
 キットもまた、投げやりな仕事によって投げやりな客から得た投げやりな金ではなく、自分を本当の意味で大事にしてくれる(自分の尻拭いではない)金を、初めて受け取った。ヴィヴィアンがエドワードとの一週間によって「愛」というものを少し学んだように、キットも、このとき初めて「愛」というものに触れるのです。

 ヴィヴィアンとルームメイトを解消した後のキットの行動がすばらしいです。花束を持って昨日の非礼を侘びに来たエドワードが通り過ぎる娼婦街で、キットが新たなルームメイトがを探しているのが映し出されます。
「あまり高い部屋じゃだめなの、これから、美容学校に通うんだから。。。え、あんた、あんたの夢は何だったの?」

 この「あんたの夢は何だったの?」というセリフは、同じように絶望を抱えて仕事をしている娼婦仲間に向けられたものであると同時に、見ている私たちにも向けられたものでもあるのです。私たちは、絶望を抱えたヴィヴィアン、恨みを抱えたエドワードが互いに尊厳を取り戻し、スピリチュアルな成長をとげていくのを見て、自分にもそういう機会が訪れることを願う。そのふたりに最初に感化されるのがキットであり、私たちはキットから感化される形で、より、自分たちにもスピリチュアルな成長の機会が訪れるであろうとイメージすることができるのです。

 物語のパターンに置き換えると、ヴィヴィアンとエドワードが果たしたのは、キリストが果たしたのと同じく、絶望、という「心の死」からの復活であり、キットの役割は、それを目撃して、人々に伝えに行った使徒、ということになるでしょうか。

 言い方かえれば、キットは「口コミ宣伝パーソン」ともいえますが(笑)。

 というわけで、よくできたハリウッド映画というのは、脇役にまで本当に大切な役割が無駄なく配されているものだなあ、と、技術的にも私は今回あらためて感心してしまったのでした。

 映画は、「ハリウッドは夢の町。夢をかなえるところだよ」というセリフで終わります。
 夢、とは何でしょう。
 私は、夢、というのは億万長者になるとか、紙に書いて毎日眺める、ということではなく、この「復活する」ことではないかと思います。
 絶望から、もう一度生命の営みを始めること。
 とても簡単なことのはずなのに、億万長者になる以上に、かなえる人は、いや、「かなえることが気持ちいい」と思う人は、少ないのかもしれません。

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by ropponguimovie | 2007-01-05 22:53 | メルマガ