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『トップガン デジタルリマスターバージョン』

 大大大問題作だといっておきましょう。しかし、その焦点はトム・クルーズではなく、相手役の…覚えてますか? ケリー・マクギリスにあることを、書いておかねばなりますまい。

 『デブラ・ウィンガーを探して』という映画があったが、私にとっては、この映画は『ケリー・マクギリスを探して』である。デブラが『愛と青春の旅立ち』でスターダムにのったあと寿退社(?)してしまったことより、引退もしていないケリーがスターダムから消えてしまったことの方が問題である。

 考えてもみてほしい。『トップガン』は、トム・クルーズをスターダムに乗せた記念碑的な作品である。ケリー・マクギリスは、その相手役だったのである! それなのになぜ消える?
 そして、そのヒロインの役柄は、「ヒーローより年上で」「カッコたるキャリア(それも博士号)をもち」「背が高く(映画のなかでトムは台に乗っていると思われる箇所がある)」「髪型はセットしなくていい(だからキャリア・ウーマンのために考案された)ソバージュ・スタイル」「ひとりで一軒家に住み」「ミリタリーの服をおしゃれに取り入れる」、そういう、大人の女だったのだ!
 ケリー・マクギリスは、80年代フェミニズムのアイコンだったのである。
 
 「肩に厚い肩パッドの入った…」というのは、いつから人をさげすむ言葉になってしまったのだろう? この映画の中で、ケリー・マクギリスは、厚い肩パッドの入ったジャケットを着ている。それも、ヘインズ(アンヴィルかもしれない)のTシャツにタイト・スカート、シーム・ストッキングという組み合わせで。あのジャケットは、ほぼ間違いなくジョルジオ・アルマーニのものだと思う。先日六本木ヒルズで開かれた「アルマーニ展」で、アルマーニがいかに、「厚い肩パッド」で、80年代ジェンダー・フリーをリードしてきたか、目の当たりにさせられた。男にテロテロのジャケットを着せ、女に逆三角形のジャケットを着せて、アルマーニは性差を埋めようとした。でも、その片鱗を映画に見るとしたら、たった二つしかない。ケリー・マクギリスが航空宇宙工学博士を演じたこの『トップガン』と、強姦を見ていた野次馬を「何もしなかった」かどで訴える検事を演じた『告発の行方』と。

 そういうわけで、さっそうと肩パッドの入ったケリーが二つの大切な役を演じた後、ケリーは消えてしまい、80年代フェミニズムも消えてしまうのである。『告発の行方』は88年、 メラニー・グリフィスとシガニー・ウィーバーが演じた『ワーキング・ガール』も88年、日本で雇用機会均等法の施行が87年で、89年ぐらいになると、アルマーニは「エコロジー」とか、「アンコンジャケット」とか、いわゆる「肩から力の抜けた」路線を提案してくるようになる。バブルはもう少し上昇してから一気にはじけ、「肩パッドの入った女」は、歴史から葬り去られてしまうのだ。

 それはまあ、幸せなことなのかもしれない。今、映画に登場する「働くヒロイン」たちは、チャーリー(この映画での、ケリーの役名ね)のような美化されたスーパーな女ではなく、男と同じように仕事に疲れる女たちである)。『ニューヨークの恋人』のように王子様願望を逆手に取ったり、『ブリジット・ジョーンズの日記』のように、キャリア路線にのれない自分を自虐するような映画は、女を現実的に扱っているといえば、いえる。

 でも、『トップ・ガン』が証明した大事なことは、「頭もよく、ドーリッシュでもなく、仕事でサクセスして(しかも背が高い)ヒロインであっても、ちゃんと青春(お気楽)ドラマのヒロインになりえる」ということなのだ。

 えー、さて、実際にそのケリー・マクギリスと20年ぶりに対面した私は、驚いた。口をあんぐりあけた。最後には笑ってしまった。世界の移り変わりというものを、まのあたりにした気がした。
 この映画の中のケリー・マクギリス、結婚する前の雅子妃にそっくりなのだ!(っていうか、柏原芳江にも似ている)  ああ、やっぱり80年代にさっそうと輝いていたキャリア・ウーマンは、消えてしまったのだ。いったいどうしてなんだろう?

9月3日より、東劇他にて公開中。
 
by ropponguimovie | 2005-09-04 23:39
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