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『NANA』

 9月3日発売の「週刊金曜日」に執筆したが、とても書ききれなくて満足していないのであらためて投稿。

 映画を見てから原作を読んだ。すごい話である。人を愛する苦しみがめんめんと描かれている。主人公は男でもなく、貴種流離譚でもなく、継母を犯すわけでもないのに「源氏物語と似ている…」と思わせられたのは、各登場人物が綿密に作りこまれており、ひとりひとりの苦しみが描かれることで、物語世界が立体的になるからである。

 主人公の女性ふたり、ナナとハチは、はじめ、お互いという友情の相手を手に入れることによって、それぞれに抱えたボーイフレンドとのしがらみから自由になるように思われる。この話はカップル幻想を打ち破るかのように思われる。ところがとんでもない。男であろうと、女であろうと、「自分を完璧にわかってくれる(かもしれない)相手」を見つけたとき、人はその幻想に取り付かれ、苦しむのだということを、このマンガはじわじわと見せつける。そういう意味では、本当にジェンダー・フリーな話といえるかもしれない。男女平等って、怖い。

 なにしろマンガの中に出てくるバンド名が「トラップ・ネスト」なのだ。商業バンドにしては縁起の悪い名前だなーと思っていたが、ここにはちゃんと意味があった。本当にこのマンガは、トラップ・ネストの物語である。そこは巣だ、安住の地だと思って羽を休めてみると、わなにハマリ、出られない。みんながじわじわとトラネスに落ちていく。
 男を愛そうが女を愛そうが、子どもができようができまいが、コンドームを使おうが使うまいが、結婚しようがしまいが、キャリアをつらぬこうが男のために味噌汁を作ろうが、スターダムにのろうが地道に生きようが、女をものにしようが遠くから見守ろうが、苦しいものは苦しい。『NANA』はそういう話である。え? 違います?

 映画版の『NANA』は、原作のほんのさわりで終わる。「『大切な特別な人』は、女の子にとって王子様だけじゃないんだよ」。そういうポジティブなところで終わる。これは本当に希望のある終わり方である。もしかしたら原作の本テーマとは違ってしまったのかもしれないが、私はこの映画ができてよかったと思う。そうじゃなくちゃ、とてもやっていられませんって。そう思うぐらい、原作は苦しい物語だから。

 この時期に中島美嘉と宮崎葵がいたというのは、奇跡というほかないですね。中島美嘉以外に、ナナ役はちょっと考えられないし、宮崎葵が良かったのは、原作の、ともすれば女を武器にして生きているという反感を買いかねないハチを非常に共感しやすいキャラクターに作り上げていること。惜しいのは、松田龍平。パンクミュージシャンのあごがたるんでいてはいかん!

 マンガのキャラクターを各俳優がこれほど違和感なく演じているというのはすごいが、絶対に続編は作らないでほしい! …あーあ、公開1位とっちゃったよ。できちゃうかなあ、やっぱり。  
 
by ropponguimovie | 2005-09-10 00:20
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