今週、いちばん癒せる映画vol.4 LAから特別編『プリティ・ウーマン』
読者のみなさま、あけましておめでとうございます。 このメルマガは、今週公開される映画の中から、 「この映画は癒される!」という視点に絞って1本を紹介するマガジンです。 無事に帰国しましたが、今週は公開の本数が少なく、「これだ!」と思うものがないので、LA渡航記念特別版を書きたいと思います。 その映画とは…『プリティ・ウーマン』(ベタだ…) 仕事の関連もありまして、ロスに行く直前に見たのです。 そして今回、とても深い発見がありました。 どうしてこの映画が、『ローマの休日』を超えて、世界でもっとも愛されるシンデレラ・ストーリーになったのか…。 その鍵は、 ヴィヴィアン(ジュリア・ロバーツ)でもなく、エドワード(リチャード・ギア)でもなく、 ヴィヴィアンのルームメイト、キット(ローラ・サン・ジャコモ)、なんですね。 キットは、ヴィヴィアンの娼婦仲間でルームメイトで麻薬中毒。彼女が麻薬に家賃の分のお金を使ってしまったために、ヴィヴィアンはその夜もう一度ストリートに立つはめになり、そして道に迷ったエドワードと出会った…という、結果的にはふたりのキューピッドになったような人です(笑)。 話の中で、キットは、ヴィヴィアンを娼婦の仕事に誘った人であることも明かされます。ヴィヴィアンは初めての仕事のとき「嫌で泣いていた」といい、観客とエドワードをほろりとさせます。それに比べてキットはけろっとしたものですから、ここまでのキットとヴィヴィアンは対照的です。 そして、このふたりは、あえていえば、共依存的な関係を結んでいたような感じです。 「キットがいなければ、ヴィヴィアンは命が永らえていたかもわからない」 「しかし、キットが誘った道は、決して尊厳ある道ではなかった」 「キットが麻薬中毒で使い込んだ金を、ヴィヴィアンが始末している」→ますます自己尊厳の低下。 さて、お話はみなさんのご存知の通りに進んで、ヴィヴィアンは、「アパートと車を用意するから街には立つな」というエドワードのセリフを「私が夢に見てきた白馬の王子は、女を金で囲ったりしない」とはねのけるほど、強い自尊心をもった女性に変身します。 そして、エドワードとの契約で得たお金で、中退した高校を卒業するところからやりなおそうと、キットとのルームメイトも解消します。 これは、キットにとってはもう、自分が麻薬にお金を使ってしまっても、尻拭いしてくれる人がいなくなることを意味します。また、ヴィヴィアンも、そういう他人の責任をおっかぶる生き方がふたりのためにはならないことに、このときの彼女なら気がついていたのではないでしょうか。ふたりの危ういパートナーシップはここで切れるわけです。 しかし、自分の人生に広い選択肢=自由を見出したヴィヴィアンは、ただキットと別れる、という、冷たい態度をとらないほどに心の成長をとげていました。 成長のあるところには、赦しがあります。ヴィヴィアンは、自分を過剰労働(!)に追い込んだキットに怒りを感じるどころかエールを送り、エドワードから得た金を、「エドワード・ルイス奨学金よ」といって分けてやります。 そのときに、ふたりは気がついているんですね。ふたりは、どうして娼婦という仕事がこれほどに惨めかというと、絶望とともに娼婦という仕事をやってきてしまったのだと。この仕事を選んでしている誇りあるセックス・ワーカーという人も世の中には存在するみたいですが、少なくともふたりは、「娼婦やる以外に、自分たちなんて何の役にも立たない」という低い自尊心とともに娼婦をやっていたのです。 ヴィヴィアンの方は、その低い自尊心から、麻薬中毒のキットの尻をぬぐうという、世話焼き病にかかり、世話さえ焼くことのできないキットは麻薬中毒になっていたのでした。 この映画のいちばん感動的なところは、エドワードとした一週間の心の旅によって、自分の尊厳を回復したヴィヴィアンから、キットに、その高まった自尊心が伝播してゆくところだと私は思います。 キットもまた、投げやりな仕事によって投げやりな客から得た投げやりな金ではなく、自分を本当の意味で大事にしてくれる(自分の尻拭いではない)金を、初めて受け取った。ヴィヴィアンがエドワードとの一週間によって「愛」というものを少し学んだように、キットも、このとき初めて「愛」というものに触れるのです。 ヴィヴィアンとルームメイトを解消した後のキットの行動がすばらしいです。花束を持って昨日の非礼を侘びに来たエドワードが通り過ぎる娼婦街で、キットが新たなルームメイトがを探しているのが映し出されます。 「あまり高い部屋じゃだめなの、これから、美容学校に通うんだから。。。え、あんた、あんたの夢は何だったの?」 この「あんたの夢は何だったの?」というセリフは、同じように絶望を抱えて仕事をしている娼婦仲間に向けられたものであると同時に、見ている私たちにも向けられたものでもあるのです。私たちは、絶望を抱えたヴィヴィアン、恨みを抱えたエドワードが互いに尊厳を取り戻し、スピリチュアルな成長をとげていくのを見て、自分にもそういう機会が訪れることを願う。そのふたりに最初に感化されるのがキットであり、私たちはキットから感化される形で、より、自分たちにもスピリチュアルな成長の機会が訪れるであろうとイメージすることができるのです。 物語のパターンに置き換えると、ヴィヴィアンとエドワードが果たしたのは、キリストが果たしたのと同じく、絶望、という「心の死」からの復活であり、キットの役割は、それを目撃して、人々に伝えに行った使徒、ということになるでしょうか。 言い方かえれば、キットは「口コミ宣伝パーソン」ともいえますが(笑)。 というわけで、よくできたハリウッド映画というのは、脇役にまで本当に大切な役割が無駄なく配されているものだなあ、と、技術的にも私は今回あらためて感心してしまったのでした。 映画は、「ハリウッドは夢の町。夢をかなえるところだよ」というセリフで終わります。 夢、とは何でしょう。 私は、夢、というのは億万長者になるとか、紙に書いて毎日眺める、ということではなく、この「復活する」ことではないかと思います。 絶望から、もう一度生命の営みを始めること。 とても簡単なことのはずなのに、億万長者になる以上に、かなえる人は、いや、「かなえることが気持ちいい」と思う人は、少ないのかもしれません。 1票、お待ちしてます♪ メルマガも登録してね→ こちら 感想が送れるウェブ拍手
by ropponguimovie
| 2007-01-05 22:53
| メルマガ
|
各種リンク
カテゴリ
全体 比較論やエッセイ イベント・記者会見など 見た映画一覧(簡易星取表付き) 初めに読んでね あ い う え お か き く け こ さ し す せ そ た ち つ て と な に ぬ ね の は ひ ふ へ ほ ま み む め も や ゆ よ ら り る れ ろ わ 英数字 メルマガ メール・ウェブ拍手 未分類 以前の記事
2009年 11月 2009年 07月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 2005年 01月 2004年 12月 2004年 11月 フォロー中のブログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||